永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

星空を見上げながら

従姉妹は、毎晩のように、星を見ていたら、視力が「2.0」を維持できていると言っていました。

視力が弱い私は、近くを見る時間が多いので、視力検査がコワいです。

最近は、街の明るさが星を見えにくくしている要素もあると思います。

でも、視力によっても、見える星の数は、差が出てくるのですね。

天を見上げて、星を鑑賞する事は、どれくらいの星が見えるという数ではなくて、その時間、その雰囲気に浸ると言うのが、人生を豊かにするのかも知れませんね。

その時間を確保すること。

その場所を確保すること。

その選択からはじまります。

星との距離は、人間の感覚からすると、計り知れません。

光の速度でも、かなりの時間を要すると説明されます。

ですから、その時に見ている光を発している星が、現存しているのかは不明です。

その光を発した後、流れている可能性も否定できません。

そもそも、天体はどの様な目的で、造られたのかさえ、人間は知る由がありません。

聖書の中には、次のように記されています。

『15:5 そして主は、彼を外に連れ出して言われた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。」さらに言われた。「あなたの子孫は、このようになる。」創世記15:5新改訳2017』

イスラエルの祖、アブラハムに対しての創造主である神【主】からの語りかけです。

天を見上げることを促されました。

また、「星を数えられるなら数えなさい。」と言われたのです。

どうやら、人間には、数えられないような大量の星が造られているようです。

アブラハムは、この星に希望を持ったことでしょう。

そのアブラハムを信仰の祖とする信仰者は、この星を見上げ、アブラハムの希望を共有することができるのです。

星を見て、心が安らぐのは不思議だと感じています。

創造主である神【主】は、そのように造られたからなのでしょうね。