永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

人が身動きできなくなるアプローチ それは危ない これも危ない

野生の動物は、何かの選択を間違うと、常に命の危険があります。

野生ではない人間は、そこまでの危険はありませんが、やけどをしたり、ケガをしたり、時には骨折をしたりすることもあります。

ですから、一定の危険を回避する手段を身に付けていくことも、成長の一つです。

どのように成長するのが望ましいかには個人差が大きいです。

幼いときには、身近な保護者が、行動を規制したり、言葉かけをしたりして、危険を覚えさせます。

時には、幼児が、その規制を超えて行動をして、ケガややけどをしてしまうかも知れません。

その経験が、防衛本能をバージョンアップさせていく一面にもなります。

でも、ケガややけどをさせまいとして、「危ない」を「ばらまきすぎる」と、行動範囲が極端に狭くなります。

つまり、身動きがとれなくなってしまうのです。

これは、大人でも同じで、リスクを冒さないために、何もしないという悪循環につながる方向性です。

これを回避するためには、リスクの正体を知っていく必要があります。

そして、自分がどこまでのリスクを許容できるか、また、リターンとのバランスを考えて、向き合う必要がありますね。

闇雲に体当たりの人生は、自分も周囲もボロボロにしてしまう懸念もあります。

「危ない」というところから「そのように危ない」かを理解していく必要があるのですね。

人生で大切なコトは、「危ない」と感じる所からの距離感なのではないでしょうか?

それぞれの感覚で、人生の楽しみと隣り合わせの危険を知りながら、どこまでエンジョイできるかが、チャレンジなのかも知れませんね。