「愛されている」という実感を持てる人が世の中にどれ程いるのでしょうか?
「愛されたい」とか「魅力的だと見られたい」という願望は、よく伝わってきます。
でも、このフレーズによると順序が違うようですね。
これは、もしかして「根拠がない自信」の部類でしょうか?
誰に愛されているか?
その前に、自分の中にある愛を確認する必要がありますね。
それは、自分自身に対する「愛」です。
つまり、「自己健全愛」ではないでしょうか。
他人を愛するよりも先に、自分自身を受容し、健全に愛する事により、どのようなアプローチが心地良いか?
また、自分を愛するように、その愛を誰かに向けるという要素です。
これは、相手にとっても、受け取りやすい心地良いアプローチだと考えています。
誰かに愛されている以前に、自分自身が自分を愛しているという状態です。
これは、自己受容できている状態なので、それが、周囲には魅力として映るのだと思います。
お金や高級車、または、ブランドもので身を飾っていても、魅力的に見えない事もありますね。
それぞれに、選択の自由はありますから、何を選択してもよいのです。
しかし、この「自己健全愛」という選択は、ほとんどコストはかからないのです。
基本的に、他人やモノ、カネではなく、自分自身にあるものを活用するのが近道だと考えています。
伊藤 整(いとう せい、1905年(明治38年)1月16日 - 1969年(昭和44年)11月15日)は、日本の小説家、詩人、文芸評論家、翻訳家。本名:伊藤整(いとう ひとし)。
抒情派詩人として出発したが、その後詩作を離れて小説・評論に重心を移し、ジェイムズ・ジョイスらの影響を受けて「新心理主義」を提言。戦後は旺盛な著作活動に加え、ベストセラーや裁判の影響もあり、もっとも著名な評論家の一人となった。私小説的文学の理論化をめざすとともに自身も創作を行い、評論では『小説の方法』「近代日本人の発想の諸形式」「近代日本における『愛』の虚偽」『日本文壇史』などがあり、『氾濫』『変容』『発掘』は、夏目漱石の衣鉢を継ぐ近代小説三部作である。