『17:16 愚かな者が良識もないのに、知恵を買おうとして、手に代金を持っている。これはどうしたことか。 箴言17:16新改訳2017』
21世紀の世の中は、色々な買い物が出来るようになりました。
売り方も買い方も支払い方も多様化しています。
変わった買い物は、「富士山の空気」の缶詰などです。
でも、ニーズはあるのです。
納得して購入するのなら、問題にはなりません。しかし、購入意図との乖離があるとクレームに発展しますね。
また、ノウハウを売るという傾向も強くなってきました。
情報商材として、結構な金額で販売するのです。再現性が高いものならば元も取れるのでしょうけれど、たまたまラッキーだったノウハウだと、購入者は大損することになります。
詐欺的な商品から、投資詐欺などへ発展するケースもあるので、注意が必要です。個人情報と支払いについては、常に慎重さが求められます。
世の中の傾向は、正解が欲しいというものです。つまり、その情報をくり返し活用すればバラ色の人生になると言うイメージです。
しかし、そのような傾向は、大昔からあるようです。
この箴言では、そのような傾向に警鐘を鳴らしています。
イスラエルでは、ユダヤ教のラビが師匠として、尊敬を集めていました。
人気があるラビの所には、弟子志願の若者が行列を作るほどだったという伝承があります。
21世紀の今、学歴神話も崩壊傾向が顕著ですが、依然として、エリートコースを模索する人たちもがんばっています。
自分の目標を決めて、それに向けて精進することは大切です。ただ、その中身や方向性への吟味は必要不可欠なのでは無いでしょうか?
世の中、お金の使い方は、難易度が高いランキングがあれば、上位にランクインすることでしょう。
また、知恵を得る方法も、同様に、かなりの難易度なのかも知れませんね。
お金で買えるものは、知識、ツール、アイテムなどがイメージできます。
しかし、知恵は、手に入れたそれらをどの様に活用するかにかかっていると、私は考えています。
むしろ、知恵があれば、それほど、お金を使わなくても、何らかの活路が見出せる可能性さえ感じています。
もう一つ、信仰者の最大の強みは、創造主である神【主】と祈りを通じた対話です。
願い事よりも、天から降ってくるものにイメージを傾けると何かの変化を感じられるかも知れませんね。