『2:36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」使徒の働き2:36新改訳2017』
最初に、この「イエス・キリスト」という名称について確認しましょう。この「イエス」という名前は、ある意味ではとても平凡な名前だったようです。しかし、名前一つ一つには意味があります。「神は救い」や「神は救う」という意味が、この言葉の背後にはあるそうです。他方で、キリストとは何なのか。これは名前ではなく、ましてや家族名(ファミリーネーム)でもありません。もともとの意味は「油を注がれた者」という意味だと聞いています。
「油を注がれる」とはどういうことか。当時の人々は、いろいろな役職に就く際、王様を含めて油を塗られました。その「油を注がれた者」というのが「キリスト」で(これはやがて「救い主」という意味になりますが)、ギリシャ語では「クリストス」と言いました。
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上記は、竹内修一上智大学神学部教授によるものです。わかりやすい説明ですね。
「イエス」とは、「主は助ける、主は救い」という意味です。アラム語ではヨシュアと発音し、ホセアという名は、ヘブライ語根「ヤシャア」に由来し、「救われる」「解放される」を意味しています。
「キリスト」は、ギリシャ語であり、ヘブル語では「メシア」と言われ、その意味は「油注がれた者」です。イスラエルでは、王や祭司、預言者などが役職に就くときに聖なる油を注がれました。
「主」とは、「王の上に一つの点」を書きます。これは、王の上に君臨する存在を表したものです。
聖書の中には、創造主である神【主】をヨハネの黙示録19:16では「その衣と、もものところには、「王の王、主の主」という名が記されていた。」と記しています。
すべての頂点にあると言う意味で、それを告白することが信仰者の核心部分とされているのです。
創造主である神【主】は、三位一体の存在です。御父(第一位格)御子(第二位格)御聖霊(第三位格)の三位格があります。この御子である第二位格が、イエス・キリストとして、この地上に姿を現したのです。
今から約2000年前のイスラエルで起きたことを記しているのが新約聖書の部分です。
その中で、イエス・キリストが誕生し、十字架に架かり復活するまでが、四福音書に記されています。
そして、使徒の働きでは、イエス・キリストが昇天する所から、信仰に立ち返った使徒たちを中心に、聖霊降臨の力を受けて、命懸けの宣教活動が記されています。
当時のイスラエルは、ダビデ王やソロモン王の面影はなく、ローマ帝国の属国ながら、ユダヤ社会という、かなり個性的なコミュニテイだったのです。
イエスの登場は、その中の支配階級にとっては衝撃的であり、自分たちの立場を守るためにどのように立ち回るかさえ、満足に考えられない状況だったと推察できます。
その支配階級の近視眼的で利己的な「欲」つまり「罪」こそ、イエス・キリストを十字架に架けた根本です。
なんと、それは、イスラエルの全家、及び人間社会が受け入れるべき救世主を殺す結果になったのです。
しかしながら、創造主である神【主】のプランは、その十字架を通じて得られる「神の子羊」の完全な贖いでした。
人間は、その罪を認めて、神の子羊による贖罪を自分に適用するならば、やがて肉体から解放され、それに蔓延る罪とも分離され、「永遠のいのち」へ導かれるのです。