永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

謙虚を保つのは難しい 装っている人間 そうありたいという意識

謙遜とは、何でしょうか?

① (形動) へりくだること。卑下すること。ひかえめにすること。また、そのさま。謙譲。謙退。
※応永本論語抄(1420)述而第七「其辞謙遜すること心の誠より出たり」
※病室の花(1920)〈寺田寅彦〉「小さい花が簇生して居るが、それは極めて謙遜な、有るか無きかのもので」 〔漢書‐東方朔伝〕
キリスト教で、おそれをいだいて、神のあわれみを請うこと。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について
https://kotobank.jp/word/%E8%AC%99%E9%81%9C-492607

信仰者の感覚では、「② キリスト教で、おそれをいだいて、神のあわれみを請うこと。」をまずイメージします。

これは、創造主である神【主】との関係を自分の中に位置づけるものです。

世の中、一般的には、本来の意味から離れていくようなイメージもあるように感じます。

「へりくだること」という意味は、本来の意味です。

でも、「卑下すること」は、少しニュアンスが異なります。これは、自分を卑しく位置づけるという歪みが生じています。

ある人は、卑下することは、かえって傲慢ではないかと指摘していました。

「卑下マン」だと言うのです。

基準は、等身大の自分です。

創造主である神【主】に授けられた存在である自分をイメージすることだと考えています。

これは、【主】とのタテの関係の確立です。

一方、他人との関係性については、ヨコの関係を考えた方が分かりやすいと思います。

その対人関係においては、相手よりも低めのポジションを目指すと良いのかも知れません。

ただ、わざとらしく見えると、相手には不快感を与えることでしょう。

自分の立ち位置をどこに設定しても、自己確立ができている人は、それが、自分の存在を否定する事には繋がりません。

でも、相手への配慮も大切なのです。

お互いに居心地が良いポジションを探る必要があるという事です。

そもそも、お互いに居心地が良くないと関係は永く続きません。

その為には、お互いに努力と調整が必要なのですね。