永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

好きよりもなんとなく好きが本命? 川端康成

『なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人のほうが、いつまでもなつかしいのね。忘れないのね。別れたあとってそうらしいわ。川端康成「雪国」(新潮社)』

「大好き」は、危険な領域だと思っています。

その理由は、突然の逆転で、「大嫌い」になる可能性があるからです。

世の中には、大好き同士でラブラブなパートナーが存在するの理解はしています。どうか永く続きますように。

でも、冒頭のフレーズは、良好な関係性について示唆しています。

それは、「なんとなく好き」の相手が良いのかも知れないと言うのです。

言い換えれば、ちょっと気になる存在というイメージでしょうか?

少し距離感があるプラトニックな関係が良いのかも知れません。

これは、男女関係で取り上げられるテーマです。

相手と密着しすぎたり、知りすぎるとマイナス面が出てくると言います。

それは、自分が「良いな」と感じて居る部分だけの情報が、知りたくないネガティブな情報を知ることになるからです。

ですから、逆に言うと、自分の中に良い思い出にしたい人とは、距離を縮め過ぎない事や知りすぎないことも必要かも知れません。

良い思い出を取るか? リアルな繋がりを求めるか? 究極の選択ですね。

自分にとって、周囲の人は、お互いに用事が無ければ、無関心で過ごしていけます。

学校のクラスなどでも、大好きな子、大嫌いな子、好感が持てる子、その他などに、無意識に分類しているように感じます。

大嫌いな子と将来、どの様な関係になるかは分かりません。

良い思い出と共に、良好な人間関係に囲まれて、生活していきたいと考えています。


『雪国』(ゆきぐに)は、川端康成の長編小説である。名作として国内外で名高い。雪国を訪れた男が、温泉町でひたむきに生きる女たちの諸相、ゆらめき、定めない命の各瞬間の純粋を見つめる物語[1]。愛し生きる女の情熱の美しく哀しい徒労が、男の虚無に研ぎ澄まされた鏡のような心理の抒情に映されながら、美的に抽出されて描かれている[1]。
1935年(昭和10年)から各雑誌に断続的に断章が書きつがれ、初版単行本刊行時の1937年(昭和12年)7月に文芸懇話会賞を受賞した。その後も約13年の歳月が傾けられて最終的な完成に至った[2][3]。
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

雪国 (小説) - Wikipedia