永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

いのちを握るのは誰?

生きるための要素は、空気、水、食料、衣料、住環境などあります。

今の時代、それらの要素がおかしくなっていると感じます。

空気が汚染され、水源に何かが混入されているのではないかと懸念されています。

それは、空気や水から化学物質が検出されているという報道などから出てくる危惧です。

農薬や除草剤などの成分は、ベトナムなどで大きな人的被害に繋がりました。

その物質が、この地球上で、まだ使われているというのです。

人体に良くない素材がリサイクルという名目で、再利用されているケースもあります。

無害化する技術があるのなら、その原因をつくった当事者が責任とコストを負担してそれを行って欲しいと望みます。

密閉サイクルにおける核物質の活用は、安全性が担保されることが大前提です。

でも、多くの場合、大きなリスクが潜んでいるように見えています。

空気や水、化学物質が人間に寄与するのなら有難い話ですが、現実は、それらに脅かされつつある状態が浮かび上がっています。

いのちは、不完全な技術の前に、風前の灯火なのかも知れませんね。

創造主である神【主】は、植物の園エデンを設けたときの自然環境は完璧でした。いのちの源である【主】は、最適な環境を用意されたのです。信仰者は、それに近い環境が、千年王国で再現されるとの預言に、希望を待ち望んでいます。

それまでは、人間の不完全なサイクルをガマンする必要があるようです。

20世紀以降は、技術発展や高度経済成長の波に乗って、公害なども、うなぎ上りになってきました。

技術先進国から、技術移転が起きる段階で、公害の抑制技術も伝承されるのが健全でしたが、それは、実現されずに、今日に至ります。

スゴい感覚の歪みを感じます。

それは、まるで、地球環境を悪くする試みのようにも見えます。生存権をチラつかせながら、服従と金を独占しようとの企みでしょうか?

人間は、その技術発展の渦に巻き込まれて、そこそこ便利な生活の享受を受けている一面は認めざるを得ません。

でも、主体的にその沼とも言える現実から抜け出すには、かなりのパワーや情報が必要です。

水の問題の一つは、食器用洗剤などに使用されている界面活性剤の課題です。

ここから、抜け出す代替技術に注目しています。

ある島では、洗濯洗剤を全世帯で変えたところ、ひと月で排水の状態が著しく改善されたとの報告もあります。 大河の一滴と思える小さな行動から積み重ねていく必要がありますね。