永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

怒りか? それ以外か? 箴言11:23

『23 賢い人は知識を隠し、愚かな者は自分の愚かさを言いふらす。 箴言11:23新改訳2017』

家庭の平和の源泉は、お母さんがご機嫌で居ることだそうです。

鼻歌交じりで、料理をしている姿に、子どもは安心し、夫も安堵を覚えます。

ちゃぶ台返しの家庭の背景には、怒りがあります。

この「怒」という漢字の成り立ちは、『「奴」の解字は "又(手)" で労働する女。大昔の女奴隷です。…「怒」は "力を込めて働く女奴隷が心を緊張させている" 様子の字です。』という説明があります。

漢字に詳しい方に質問です。なぜ『女の又の心』は『怒(いかり) 』になって『女の口の心』は『恕(ゆるす) 』になったのでしょうか? - Quora

 

中国の歴史から理解すると、そうなるのですね。

良く聞く家庭のトラブルで、妊娠や出産時に、夫から受けた心ない言葉や振る舞いなど、また、裏切りなどは、一生、恨みとなって怒りの火種になるという現象もあります。

ですから、女の又の心というものが、命懸けのエネルギーに満ちた領域なのだろうと考えていたのですが、漢字の成り立ちは、また、違いました。

「努力」の「努」は、「女」「又」「力」と言う構成ですが、命が産み落とされる尊い領域だと聞いたことがありますが、これもまた、奴隷労働に起因した成り立ちのようです。

ただ、生活をより豊かにするための解釈は自由だと思いますので、自分なりに考えるのもよろしいのではないでしょうか? ただし、テストの正解ではないことを留意する必要がありますね。

この箴言には、「怒」は出てきませんが、「愚かさ」と言う表現を使っています。

「賢さ」と「愚かさ」が対比されています。

「能ある鷹は爪を隠す」と言われるように「賢さ」は、奥ゆかしく表現されるケースが多いです。つまり、賢い人は、吠えたり、アピールする必要性がないのです。

一方、「愚かな」ケースは、自分が愚かなことを隠すために、様々なことをアピールしたりします。

自慢もその一つですが、その特徴は「怒り」です。それは、凄まじいエネルギーで、周囲を困惑させ、笑顔を吹き飛ばす威力があります。

愚かさは、隠そうとすればするほど露呈するものです。もし、賢く見せたいのであれば、黙っている方が良いというアドバイスもあります。

別の視点で考えると「自己評価」と「他者評価」の違いです。

一般的に、賢い人は「自己評価」が落ち着いている傾向があるのではないでしょうか? ですから、「他者評価」を客観視するゆとりがあるように感じられます。

一方、「自己評価」が定まらず、自信が持てないために、「他者評価」を求めるのが、「愚か」と言われる理由です。外見でアピールしたり、自分に高下駄を履かせてアピールしたりするのですね。

それよりも、自分がご機嫌で居られる何かを探した方が近道かも知れません。