永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

ボランティア動員の難しさ

仕事仕事と言いながらも、結構、売上に直結しない業務もあります。

また、家事や家の周りの作業は無償であり、時には持ち出しです。

町内の清掃活動やゴミ見張り当番など、誰かが自発的にしてくれているので、きれいな町内を維持できるということがあります。

でも、これが結構ミスマッチなのです。

最近は、何かと忙しい人が多く、日時が合わなければ参加してもらえません。

作業内容が、汚れたり、力仕事であったりすると、参加候補者も格段に少なくなります。

あとは天候です。この感覚は、人によって、スゴく開きがあります。小雨でも、雨は雨なので、作業中止という感覚の人が多いと思うのです。でも、ある程度、雨粒が大きくても、まだできるという人もいます。

このような意識の差も、参加者を減らす要因になります。

最低限の人数を確保できる態勢が望ましいのですが、生活にユトリがあり、体力もあるような状態で、利他的な意欲もあるような人自体が、ナカナカ見当たらないのです。

これは、発掘の仕方に工夫がいるのかも知れませんね。

こんなユトリのない日本に誰がしたのかという、ぼやきもしたくなります。

それでも、今からできることを考えながら、共有していけるように、工夫が必要なのですね。

作業内容の提示、作業時間などの明示なども大切ですが、その前に、その作業からどのような充実感が得られるのか?を共有できる感覚が大切なのでしょうね。

「夢」とか「希望」などという何かを共有できれば、発展性を感じられますね。

でも、現実をすすめているのは、「誰かがやらなければ」という義務感や使命感だったりします。

使命感に、希望の要素をプラスした要素を提示することも課題です。

取り組むことへの心のハードルを最大限下げることが、参加者を増やしていける方向性とすれば、主催者の努力の余地が、まだまだあるということでしょうね。

心理学的な報酬が良い形で共有できるようにすることも課題です。

義務感を強く持つ人が、一人相撲をするところからの脱却を目指したいですね。