永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

運命とどう向き合うか? ホメロス 「イリアス(岩波書店)」

『それにまた死の運命は、人間の世の誰一人として、免れおおせる者はないのだ。臆病者であっても勇士にしても、一旦こうと定まった上は。 ホメロス 「イリアス岩波書店)」』

人間には、寿命があります。これは、機械のような耐用年数ではなく、個人差が大きい不思議なモノです。

それを決めるのは、創造主である神【主】です。

年齢に関係なく、善人にも悪人にも、いつか必ず訪れます。

報道などでは、人間にとっては理不尽に感じる亡くなり方をするケースが多いので、非常に大きなショックを受けます。それは、犯罪に巻き込まれたり、応戦していて防ぎきれなかったり、強盗などの鉢合わせなど、列挙すればキリがありません。

人間は、このフレーズに示唆されているように、理不尽さを感じつつも、その現実を受け入れるしか術は無いようです。

誰でも、生きている以上、ただ座って「死」を待っている訳ではありません。

日常生活を送りながら、時には、非日常を楽しみながら、定められたその時が突然の如く到来するのです。

ですから、「いつかその時が来るのだ。」という意識も持ち合わせておく方が、覚悟という点では、大切なのでは無いでしょうか?

二本差しと言われるサムライは、闇討ちや後ろから襲うのは卑怯者だとされています。「勝負」と「いのちをとる殺人」の差が、ここにあるようですね。「立ち会え」という文句も、正面切っての勝負という意味合いがあります。勝負であれば、相手が背を向けて、逃げ出したときに、勝ち負けが決まるのです。勝負であれば、いのちをとることにはならないでしょう。

外道は、いのちをとる殺人に向かいます。問答無用で、辻斬り、闇討ちなどなんでも厭いません。まるで、ケダモノの所業です。このような手にかかるのは、理不尽極まりないですね。

アフガニスタンに水路整備の貢献をしていた中村哲医師も、理不尽な最期を迎えました。とても、残念でなりませんが、その意志が現地で引き継がれていて、活動が続くことを願ってやみません。

世界のあちこちで、利権がらみの紛争が絶えませんが、それらに巻き込まれていのちを堕とす人たちもいます。それらの報に触れると「理不尽だ」との思いが強くなります。

利権の背景や背後を推察すると透けて見えるコトはあります。人間の希望や自由を奪い、奴隷のように扱いたい勢力があり、それらに全世界の人たちが翻弄されているという現状が浮かび上がります。その源は、サタン(悪魔)であり、火の池(地獄)への道連れを探し、動員しているに過ぎません。

これを理解して、一人一人が自分のために与えられた永遠への備えをしておく必要があるのではないかと私は考えています。それは「永遠の幸福マインド」であり、それも合わせて、その時に備えるならば、気持ち多少のゆとりが生まれるのではないでしょうか?

ホメーロス古代ギリシャ語: Ὅμηρος、Hómēros、羅: Homerus、英: Homer)は、紀元前8世紀末のアオイドス(吟遊詩人)であったとされる人物を指す。ホメロス、あるいは現代語式の発音でオミロスとも。西洋文学最初期の2つの作品、『イーリアス』と『オデュッセイア』の作者と考えられている。「ホメーロス」という語は「人質」、もしくは「付き従うことを義務付けられた者」を意味する[1]。現在のギリシアではオミロスと発音されている。古代人はホメーロスを「詩人」(ὁ Ποιητής、ho Poiêtếs)というシンプルな異名で呼んでいた。

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