『1 わが子よ、私の教えを忘れるな。心に私の命令を保つようにせよ。2 長い日々と、いのちと平安の年月が、あなたに増し加えられるからだ。 (箴言3:1-2新改訳2017)』
争いや紛争が絶えることがないこの地球上に、やがて、争いがない平和な時が来ると聖書に記されています。
その時代の到来までは、様々な理不尽に感じるような光景を目にしなければならないようです。
その中でも、心の平安を持ち続ける秘訣について示唆されています。
その基本は、「創造主である神【主】の教え」 を忘れないことだと記されています。
これは、【主】の保護が約束されていたのに、欲望をそそられて、その範囲から迷い出てしまった人間の最大限の弱みを知ることからはじまります。
それは、不安のタネです。
人間が直面している不安は、「肉体的死の不安」です。その背後には、自分自身の存在が「無」に帰するのではないかという霊的死の不安が渦巻いています。
それらが合わさり、経済的な不安、愛情が得られない不安、愛に基づく信頼関係が崩れるのではないかという不安、自分の恥部が暴露されるのではないかという不安を掻き立てているのです。
身に覚えがあればなおさらですが、身に覚えがなくても、フェイクネタが作られる時代ですから、そういう意味では不安のタネは尽きません。
【主】は、人間が怯える不安をソックリと包み込んで余りある「愛」を示し、その解決法を完成してくださいました。
それこそ、約2000年前に起きた出来事です。それは、メシアであるイエス・キリストの来臨と十字架での死(贖い)、葬り、三日目の復活です。これにより、人間が【主】の前に、「義」とされる「義の衣」が完成されたのです。
人間の罪悪は、人間の心を責め続けますが、この「義の衣」を着ると「信仰表明」すると、その瞬間から「無実」ではない人間が「無罪」と扱われるのです。
これが、【主】の教え(命令)の核心部分です。
これを忘れないようにする事で、心の平安を実感し続けることができるのです。
この肉体的生命で生かされている間は、「病気」は避けられない部分があります。どんな謙遜な信仰者でも病に倒れることがあります。また、善人であっても「罪の性質」を引き継ぎ、それから逃れることができません。
しかし、信仰者の強みは、義の衣をまとい無罪とされること、やがて栄光の身体をいただけるという希望、理不尽に感じるコトの中でも、【主】の存在を認めその愛を感じて満たされる特権を理解している事です。
尽きない不安のタネを探し続けるよりも、平安に焦点を合わせることを心に留めたいと考えています。