永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

再起できる人、できない人 その差 運 意欲 生命力

「車が廃車になるくらいの事故で、あの人はもうダメかと思った。」なんて会話をしている一方、「あの人は、まだ若いのに…」という話も増えてきました。

これは、身体のコンディションだけではなく、経済状態などでも話題にします。

危機一髪から復活するような、まるでフェニックス(不死鳥)のような人がいるのも現実です。

でも、その差は一体何なのか?をディスカッションしたりします。

大前提として、天寿は人間が決めるのでは無くて、創造主である神【主】が決めるのです。その原則に従って、人間は、生きているのではなく生かされているのだと私は考えております。

しかし、身体の健康管理は、人間自身がセルフケアをする必要があります。管理者としての役割には、努力も必要ですね。

コンディションの悪化を招くきっかけは、脱水とか、不眠などの些細と考えがちな要素が多いのだと考えています。脱水は、血液をドロドロにし、血栓ができやすくなったり、痙攣(けいれん)などを引き起こす要因になったりします。

不眠は、疲労回復が達成できずに、免疫力の低下など、体調不良に繋がる要素です。「どうすれば良質な睡眠が得られるのか?」は、健康を維持増進するために最大のテーマなのではないでしょうか?

一方、認知機能の不具合は、原因がよくわからないとされています。脳の変化も伴うとも言われています。年齢を重ねると、考えていることと行動していることの辻褄が合わないことが増えてきます。年齢が若くても、疲労蓄積などによって、一時的に、認知機能の低下を招くことがあります。

近年、スマホは手放せないような状況がありますが、さっきまであったのに、手元に無いといった状況も、一時的な認知機能の低下なのかも知れません。普段には、絶対に置かない場所に「ポン」と置いてしまって、忘れてしまい、慌てて捜索することになりますね。

人体の綻びは、あちらこちらにあり、まるでブラックホールのように、人を待ち受けているかのようなイメージです。

身体のコンディションが著しく変化する一例が、胃の切除です。これをすると、食事の回数を増やさなければ、必要なカロリーを摂取することが難しくなり、健康維持するのも、人一倍の頑張りが必要になります。その様な中、食欲減退で体力を低下する人がいますが、周囲が驚くほどの意欲で、栄養摂取に励んで、十二指腸を引き延ばしながら、体力を増進させている人もありました。

生命力の強さを感じると共に、そのような意欲と共に湧き出てくるパワーのスゴさに圧倒されました。

消化できる環境が変化をしたのだから、体力を低下させてしまう人が圧倒的に多い中で、その差が生まれるのは何なのでしょうか?

生きるという健全な野望なのかも知れませんね。それは、執着とか執念という情熱的なモノなのでしょうか?

もう一つ感じるのは「栄養が身になる」という代謝や消化の能力が活性化されていることです。

それらが、噛み合わなければ、健康増進の結果には繋がりません。

それは、生かされている人間からすれば、「運」の領域なのかも知れないと考えています。

「人事を尽くして天命を待つ」の実践編ということでしょうね。