永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

二人の証人の末路 ヨハネの黙示録11:7-13

『7 二人が証言を終えると、底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺してしまう。
8 彼らの死体は大きな都の大通りにさらされる。その都は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれ、そこで彼らの主も十字架にかけられたのである。
9 もろもろの民族、部族、言語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体を眺めていて、その死体を墓に葬ることを許さない。
10 地に住む者たちは、彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を交わす。この二人の預言者たちが、地に住む者たちを苦しめたからである。
11 しかし、三日半の後、いのちの息が神から出て二人のうちに入り、彼らは自分たちの足で立った。見ていた者たちは大きな恐怖に襲われた。
12 二人は、天から大きな声が「ここに上れ」と言うのを聞いた。そして、彼らは雲に包まれて天に上った。彼らの敵たちはそれを見た。
13 そのとき、大きな地震が起こって、都の十分の一が倒れた。この地震のために七千人が死んだ。残った者たちは恐れを抱き、天の神に栄光を帰した。 ヨハネの黙示録11:7-13 新改訳2017』

「二人が証言を終える」と、「底知れぬ所(アブソス)から上って来る獣(反キリスト)」に殺されます。

彼らが使命が与えられているうちは、彼らは死ななかったので、それを全うし「終えた(テレオウ)」ことを表し、神は、敵が彼らを殺すことを許されるのです。

反キリストは、底知れぬ所に一度入っていたのですが、生き返って来たのです(ヨハネの黙示録13:3-4)。

二人の証人の死体は、墓に納めることを許されず、「大きな都(エルサレム)の大通りにさらされる。」と記されています。大きな都は、人間の視点です。かつて、メシアであるイエス・キリストも十字架に架けられました。

「その都は、霊的な理解ではソドム(性的倒錯の罪を持った町)やエジプト(神の民を迫害した国)と呼ばれ、」と記されているのは、エルサレムの堕落の状態を見た神の視点です。

これは、神の敵にとっては、この勝利は画期的で記念すべきものですから、それを告知するため三日半の間さらし者にするのです。「彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を交わす」ほどのパーティーが繰り広げられます。インターネットの環境が発達している状況では、SNSなどで大拡散されることでしょう。

「その死体を墓に葬ることを許さない」ことは、申命記21:22-23に禁止されている行為です。

このことでパーティーを繰り広げているのは、携挙で天に挙げられなかった不信者たちです。自分たちに悔い改めを迫り苦しめていた「二人の証人」が死に、神と証人を恐れなくても良くなったこと、また、反キリストが神であるという認識が共有されたことで、ヨハネの黙示録最高潮の「喜びの瞬間」がやってくるのです。

しかし、「二人の証人」の死が彼らに伝えた真理は死にません。

さらに、「三日半の後」衝撃的なことが起きます。「いのちの息が神から出て二人のうちに入り、彼らは自分たちの足で立った。」つまり、復活するのです。全世界に広がる喜びは、神の力を認識し、恐怖に一転した。

天から大きな声が「ここに上れ」と言い、彼らは雲に包まれて天に上った。この光景を見ていた人たちは人々は、さらに恐怖に襲われることでしょう。二人の証人の復活と昇天は、実にユニークです。第1の復活(黙20章)ではなく、携挙でもない。その間に起きることで、これは、神を信じようとしない「地に住む人々」への「しるし」なのです。

地震が起き、エルサレムの10分の1が破壊され、7千人が死にます。これは、エルサレムに下る神の裁きです。「残った者たちは恐れを抱き、天の神に栄光を帰した。」生存者に信仰に導く畏怖の念を抱かせるためです。「天の神」という言葉は、黙示録に2回出て来ますが(16:11)、「GOD(創造主である神【主】)」や「god(神々)」と表記するように、その差を明確にする必要性もあります。

ここでは、「天の神に栄光を帰した。」は、「獣の礼拝」との対比で語られていて、これが救いに至る信仰の始まりとなるからです。