永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

程よい対人関係が大切 オノレ・ド・バルザック

『あまりうちとけ過ぎる人間は尊敬を失います。気やすい人間は馬鹿にされます。むやみに熱意を見せる人間はいい食いものにされます。 オノレ・ド・バルザック

「ド・バルザックの「ド」は、貴族を気取った自称」というユニークな一面を持つ、興味深い人物です。

彼の作品については、次のような評価があります。

諸作品は、深刻で根源的なテーマを扱いながらもすぐれて娯楽的でもある。高潔な善人が物語に登場することも少なくなく、かれらは偽善的な社会のなかで生きることに苦しみながら、ほぼ例外なく苦悩のうちに死んでいく

などと表される作品群を産み出しています。

でも、多くの人生を観察し、「娯楽的」に「高潔な善人」を通じて「偽善的な社会の苦しみ」「苦悩の死」という流れが、彼の中では鉄板なのかも知れませんね。

これは、華やかな世界への興味を駆り立てるだけではなく、その結末が、苦悩の死という落とし所が、読者の心のバランスを整えているのかも知れないと推察します。

あくまでも、「娯楽的」という視点が、人気の要素だったのかも知れませんね。

このフレーズは、人との距離感のとり方にヒントを与えてくれているようです。

「うちとけすぎる人」は、馴れ馴れしいとか、明け透けと話をするとか、距離感が近すぎる人を想像します。

確かに、ベタベタされると、距離をとりたくなりますね。

「気やすい人」は、軽くあしらわれるということなのでしょうか? 馬鹿にされても、気にせずに自然体で振る舞える人も居ますが、自分自身のアイデンティティーは失いたくないですね。

「むやみに熱意を見せる人」は、そのエネルギーと努力だけ、「トンビに油揚」をさらわれるように、持って行かれるのですね。

自分の身の置き場所で、程よい人間関係を構築するためのヒントとして、生かしていきたいフレーズです。

 

オノレ・ド・バルザック(フランス語: Honoré de Balzac 発音例, 1799年5月20日 - 1850年8月18日)は、19世紀のフランスを代表する小説家。
イギリスの作家サマセット・モームは、『世界の十大小説』のなかで、バルザックを「確実に天才とよぶにふさわしい人物」と述べている。バルザックは90篇の長編・短編からなる小説群『人間喜劇』を執筆した。これは19世紀ロシア文学ドストエフスキートルストイ)のさきがけとなった写実的小説群である。
レ・ミゼラブル』で著名なヴィクトル・ユーゴーや、アレクサンドル・デュマの親友でもある。
ド・バルザックの「ド」は、貴族を気取った自称である。

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