永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

その道はどこ行き? 箴言14:12

『人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある。 (箴言14:12新改訳2017)』

「人生には、賞賛される成功者になれるためのハイウエイ(最短ルート)はないなあ」というのが私の実感です。

財をなしたと評価されている人々は、創業者が多いイメージがあります。

その人たちは、100のチャレンジをして、一つ当たれば良しという積み重ねで、時には、かなりきわどいことをして、サバイバルしてきた方が多いと聞きます。

決して、資金に恵まれていたわけでもなく、多くの不成功を土台にして、進む方向を軌道修正して、あきらめなかったという人々ですね。

成功者と持て囃される人は、大衆からはかなり変わった人と見られる傾向があります。

平均的な日常を求める人は、一つや二つ不成功(失敗…目標未達)を体験すると、放り出してしまいたくなる傾向があります。気持ちはよくわかります。

しかし、その感覚の差が、大きな経過や結果の違いにつながるのですね。

平均的願望は、格好悪いとか、外見がどうだとか、周囲の表面上の評価を気にすることに、かなりのエネルギーを使います。

各々のエネルギーは限られていますから、結果的に、チャレンジに対するエネルギー不足に陥ってしまうというループから抜け出せなくなるのですね。

さて、人生には、様々なスタートや中継点、そして、ゴールがあります。

また、人間の肉体的生命の終わりさえも、永遠の幸福の通過点にできる方法もありますから、自分にとってのより良い選択を考えておく必要がありますね。

自分の人生をふり返っても、クネクネと曲がりに曲がった足跡を見ますから、真っ直ぐな道(最短の直線道路)は無いと考えた方が良さそうです。

社会的成功を夢見ることを否定はしませんが、優先順位として、自分が自分らしく存在価値を発揮して、自他承認を得られる場で、活躍できることこそ有用なフィールドだと考えます。

その結果がどうなるのかが楽しみですね。

また、私は永遠の命に向かった視線を心の中心に置くことこそ、無謀な死を回避するために有効だと考えています。