「あの時のあの失敗がすべてのはじまりだった」
などと、後悔ばかりに取り憑かれることもありますよね。
印象深い出来事であれば当然ですね。
「今日の栄養は、数ヶ月後に身体になる」とも言われています。
ですから、色々な出来事も、今日の私をつくっているという事になりますね。
「試練は宝」などと、サラッと言いますが、ナカナカそのようには考えられないですよね。
でも、ふり返ってみて、「あの時に別の選択肢はあったか?」「別の選択をしていたらどのようになっていたか?」などを考えてみると、必ずしも決断を他人から押しつけられた訳でもなく自分で、消極的に無難な選択をした事なども思い出されるでしょう。
人生の中には、義務感や責任感から、「火中の栗を拾う」ような役割を迫られる時もあります。
そうであったとしても、将来の自分には、強固な土台の一部になっているのではないでしょうか?
イスラエルの民も、飢饉をきっかけにして、エジプトに移住し、いつの間にか奴隷生活を送っていましたが、モーセに率いられて出エジプトを果たしました。
約束の地を示されましたが、そこに入るまで荒野を40年さまよっていたのです。
今日の私達でも、荒野を歩んでいるように感じます。
そのような経験があるからこそ、オアシスや約束の地にたどり着いた時の喜びと安堵感に深みがでるのでしょうね。
「あの時のあの経験が、今日の私をつくり。今日の経験が未来の私をつくる。」ということですね。