永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

校正の大切さを実感

ここに書いている文章の数々にも、多くの誤字脱字があります。

本当に、申し訳なく思いますが、セルフチェックが及ばない部分は、お詫びするしかありません。

ウエブサイトの場合は、訂正や修正も比較的容易です。

しかし、印刷文書や出版図書になると大変です。

何かを印刷すると、どこかの何かが、間違っているのです。

これは、当事者の思い込みによる要素が大きいのです。

「岡目八目」と言う言葉があります。

これは、「事の当事者よりも、第三者のほうが情勢や利害得失などを正しく判断できること。囲碁から出た語。碁をわきから見ていると、実際に打っている人よりも、八目も先まで手を見越すという意から。(goo辞書)」という説明があります。

三者の視点は、その文書を作り込んでいる人とは違い、客観的な一人の読み手として、間違いに気づきやすいと言えます。

これは、いつも思うことです。

でも、当事者では、及ばない範疇です。

誰かの依頼で、文書を作成するときには、発注者と制作者がいて、校正者を第三者で立てる予算がないことがほとんどです。

これが、間違いを訂正できない根本的な要因ですね。

文書は、校了を経て印刷に回します。

つまりは、校了を出した人の責任になるのです。

でも、クレームになるコトもあります。

対策としては、ユーザーの視点で、構成をしてくれる人を確保するコトなのでしょう。

価格などの間違いは、後の訂正が大変ですから、それだけでも、防ぎたいと考えています。

また、校正の過程での大幅な変更なども、仕上がりに影響を与えます。

まあ、何があっても、致命的な間違いはNGです。

意識をして、目を皿のようにして、内容の確認をしたいと考えています。