永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

恐怖心は暴れん坊 デール・カーネギー

『恐怖心は暴れん坊だが、同時に臆病者である。恐怖心を克服するには、その存在を無視すればよい。 デール・カーネギー

「恐怖心は無視する」という結論で終了ですね。

恐いは、防衛本能を刺激します。

最近の撲殺殺人事件は、警察官が見るのも凄惨な現場があるそうです。

これは、素人による犯行なのだそうです。

恐怖心から滅多打ちにするのだそうですが、相手の反撃に臆病になるあまり、相手が動かなくなっても、滅多打ちを続けるのだというのです。

正に、恐怖心と臆病者が同居しているのですね。

養育期に、対人コミュニケーションが欠如しているのが一因とも指摘されています。


また、少し薄暗いところや人が行けないような所へ行くときは、薄気味悪い感覚も伴います。

不安な気持ちと心細さが、恐怖心をさらに煽ったりします。

肝試しなどと言われるのは、その恐怖心を克服できるかのテストのような一面があります。


恐怖心を無視することは、できるようでナカナカ難しいコトでもあります。

大切なのは、この恐怖心の背景を考えてみることです。

その正体がわかれば、大抵のことは対処できますね。

根拠が探れれば、対処のしようもあります。

でも、その根拠が希薄ならば、無いのも同然ですから、無視をすればよいのですね。

二月は逃げる三月はサル

2021年も二月の下旬になりました。

昔の人は、「二月は逃げる」「三月は去る」などと、韻を踏んで時の流れを表現しました。

「光陰矢のごとし」などとも、時が経つのが速く感じるコトを表現します。

自分で取り組もうとした課題が、進んでいないとわかると、焦りを覚えます。

人間には、24時間平等に与えられているのですが、時間の使い方が上手な人と、そうではない自分をついつい比べてしまいます。

比べてどうなるモノでもないのですがね…。

時間をお金で買ったりして、自分の課題をクリアしていく方法もありますが、それでも、自分の中に考え方や方向性が固まっていないと、前には進めません。

業務を優秀なマネージャーに託して、大きな事業にする辣腕経営者もいます。

やはり、器の差を感じます。

自分の能力(器)に合わせて、課題を絞り込む必要があるのでしょうね。

必要性があること、やりたいこと、楽しめることなどから、現実的に絞り込んでいきたいですね。

喜びが伝わるコミュニケーション 箴言12:25

『心配は人をうなだれさせる。親切な言葉は人を喜ばせる。(箴言12:25新共同訳)』

心細い時に体験した親切は大きな助けです。

でも、この世の中には、心細さに追い打ちをかける、詐欺や強盗などもあり、それを耳にすると、同じ人間として情けなくなってしまいます。

「心配は人をうなだれさせる」とあるのは、心配事があり、それだけをグルグル考えていると、目がうつろになり、視線も下がり、首をうなだれるようになっていく様をイメージします。

また、「心の不安は人を落ち込ませ(新改訳2017)」という翻訳もあります。

「心配」を「心の不安」と翻訳しています。

不安のタネは、人生の其処此処に転がっていますから、それを拾い込まないように気をつけたいですね。

心配や不安は、心の明るさやぬくもりを消そうとする要素だと考えています。

一方、喜びは心の明るさやぬくもりに新たなエネルギーを供給してくれる要素ですね。

身近な人と、心配や不安を共有しつつ、喜びを分かち合って、心の明るさやぬくもりを維持していきたいと考えています。

自分自身が落ち着きが無いと感じるとき、「自分は落ち着かない」「自分は○○が不安なのだ」と認めることができれば、不安に支配されることから解放されます。

誰かが不安を感じさせるのは、あなたをそこに留めておきたいからという策略がある可能性もありますから、自分が置かれている環境をジックリ検証してみる必要があるかも知れませんね。

恥辱を感じるモノ パスカル

『人間にとって、苦悩に負けることは恥辱ではない。むしろ快楽に負けることこそ恥辱である。 パスカル

「勝負に勝って、試合に負ける」と、かなり以前に、野球の投手が言っていました。これには、強打者との勝負には勝っても、試合には負けたであろう悔しさが伝わって来ます。

パスカルのフレーズでは、人間が影響を受けやすいのは、苦悩よりも快楽だという指摘です。

人間にとっては、解決しがたい課題の連続が人生ですから、その点で苦悩はつきものです。

また、快楽というモノも、人生のあちらこちらで、手招きをしています。

でも、魅力や魔力は。快楽のほうが、苦悩よりもはるかに上だと感じる人が多いことでしょうね。

特に、食べ物の誘惑は絶大ですね。

脂分と塩分、または、脂分と糖分の最強タッグは、人の五感を鷲づかみにして、たちまち虜にしてしまうほどです。

また、嗜好品やギャンブルに至るまで、日常は、快楽の要素に取り囲まれています。

苦悩から、一時だけでも脱しようと、快楽に走るのもわかりますね。

快楽は、「沼」という恐ろしい一面を持っていますので、用心が必要です。

最近は、デジタルの定額性サービス「サブスクリプション」が、スゴい勢いで拡大していて、そこに浸っていると苦悩からは避難できますから、楽しむを通り超えた、ハマると感じている方も居ると思います。

これは、ヤバいです。ほどほどに楽しみたいですね。

文具の山を見て考えること

家中の文具をかき集めたら、結構な量になります。

断捨離流行りの今なら、体験された方も多いと思います。

その中には、ノートやメモなどもあります。未使用のモノでも、セピア色に変色していたりして、時代を感じてしまいます。

筆記用具の種類や本数の多さにも驚いてしまいますね。

でも、自分が使いやすいモノは、意外と少ないイメージですね。

販促用品で、頂き物は有難いのですが、すぐに使いたいモノと、そうではないモノに分かれます。

私の場合、どちらかというと、すぐに使いたいモノは少数派であることが多いです。

なるべく、あるモノの中から使っていこうと考えますが、ついつい書きやすいモノを求めて購入してしまうこともあります。

そして、手がつかないモノは、誰かに引き取ってもらう事になりそうです。

モノは、実際に自分が使って体験してから、はじめて、メリット・デメリットを体感します。

そこから、日常的に使うモノと、そうではないモノに分かれていきますね。

また、ファイルの類でも、値段にかかわらず、使い勝手が良いと感じるモノと、微妙なモノに分かれてきます。自分に合うかどうかであって、それぞれのニーズはマッチするところがあるのでしょうね。

効率や便利さ、おしゃれすぎて使えないノートもありますが、おしゃれであるかなども、選択基準のものさしです。

ほんとうに、文具の存在価値を考えさせられます。

自分が、居心地が良いモノを選択して、うるおいを実感しながら、幸せを感じられる文具を活用していきたいですね。

信仰者たち ヘブル11:13

『これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。
しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。(ヘブル11:13、16新改訳2017)』

モーセはの長男をゲルショム(寄留者)、次男はエリエゼル(神は助け)と命名しました。

人間は、この地球上に生命を授かって生まれて来ますが、やがて、肉体的生命を終えて旅立ちます。

こう言う意味においては、全人類がこの地球上では、寄留者であることを示しています。

ヘブル書の11章は信仰について記されています。

アベル、エノク、アブラハム、イサク、ヤコブ、などの名前が挙げられています。

イスラエルの民は、アブラハムからイサク、ヤコブへと引き継がれていたのです。

アブラハムは、カルデアのウルからハランを経て、約束の地にたどり着きました。

それには、創造主である神の導きは不可欠でしたが、それと同様に信仰が不可欠だったのです。

人間の限界を超えた所で、創造主である神の御手のワザによって、次のステップが示されて言ったのです。

そして、彼らは地上を後にしました。正に、彼らは地球上では寄留者だったのです。


モーセは、大叔父の名前を自分の長男につけたようです。

その名はゲルショム、「私は外国にいる寄留者だ」という意味だそうです。

モーセは、エジプトからミデアンに逃れていた間に、イテロの娘チッポラと結婚しましたから、その時のモーセの心境が、それだったのでしょうね。


寄留者であり信仰を持つ人間(信仰者)がたどり着く、究極の約束の地は、用意された「天の都」です。

これを、心に定めると、寄留者としての地上生活に集中できますね。

アブラハムと同じ信仰を持つ子孫が、今日も加えられているのです。

動画 なめないで! そして、かじらないで!!


Bunny eats snowman’s carrot nose

Snow Man(雪だるま)のお鼻が魅力的に感じたウサギさんは、ピタッとくっついたかと思いきや、ガブッと行ってしまいました。

なんと、雪だるまさんのお鼻はニンジンだったのですね。

ニンジンは、ウサギさんやお馬さんは大好物の象徴と位置づけられていますから、「やっぱりね!」というイメージです。

でも、ウサギさんが届く位置に鼻を作ったのは、これを狙っていたのかなと勘ぐってしまいます。

目の前にニンジンをぶら下げて、目の前の課題に取り組むなどと言われますが、ニンジンだけが気になれば、まず、それに意識が100%吸い取られてしまうのも致し方が無いことです。

ニンジン作戦が成功する人と上手くいかない人は、ハッキリ分かれるようですね。