永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

アンガーマネジメントのお手本 マーク・トウェイン

『立腹したら四つ数えよ。怒り狂ったら誓え マーク・トウェイン

アンガーマネジメントという手法が一般化して、普及しています。

「カッとなったら、6秒間ジッとする」ということも、一つとして挙げられています。

キレるタイプの人は、何かをきっかけにして、反応して怒りを暴力的に表現してしまいます。

それは、本人も無意識にしてしまうことが多いようです。

ですから、怒りに繋がる何かを感じたら6秒間待つことができるようになると、案外、冷静でいられるのですね。

じつに、不思議なコトですが、怒りは二次感情で、不安などの一次感情から強い影響を受けるのです。

すぐキレてしまうケースは、一次感情も二次感情も直結でもしているかのようですね。

マーク・トウェインは、それを、わかっていたかは定かではありませんが、とても大切な示唆を感じます。

19世紀から20世紀にかけて活躍した作家ですが、その時代は、時間の流れも穏やかで、おおらかな時代だったのかも知れません。

今のデジタル時代では、怒りが持続する時間が長くなっている可能性も考えられます。

自分が、どういう局面で、怒りが沸いてくるのかを、冷静に考えられると人生に大きな変化をもたらすことができます。

大別すると、怒りから外に発散する人や自分の内側に向かう人がいますから、必要以上に苦しまないためにも、アンガーマネジメントは大切な要素なのですね。

体感する度合いの差が大きい時代 痛みのスケールなど

痛さを表現しない人、少しの痛みでも大きく表現する人、人間の世界は不思議に満ちています。

医療の現場では、痛みのスケールが用いられていて、患者さんの現状を探るのですが、体温測定や血圧測定のように、数値に表せるモノではないので、大きな課題ですね。

他人の身体を触らなければいけない立場の人は、今までにもまして、神経質になる時代です。

暑さや寒さをどれくらいに感じるかの個人差も非常に大きいですよね。

家族の中でも、夏場のエアコン設定温度が、29℃の部屋もあれば、18℃の部屋もあると聞きます。

寒い季節には、まるで、ルンバが充電器に充電しに行くように、ストーブの前で、充電ならぬ充熱をする姿も見受けられます。

夏場には、扇風機の風にいつも当たっていないと耐えられないような状態になったりもします。

人間の肌感覚は、非常に不思議で、風に当たり続けると麻痺してしまうようです。

健康法の中に、できるだけ薄着でとか、真冬でも半袖半ズボンで体質改善なども聞きます。

それぞれに、理屈があり、実際に取り組んで成果を上げているようですが、私には真似できそうにありません。

気象の変化が、以前のような緩やかさがなくなってきた状況も感じている人が多いでしょうから、身体がビックリして適応できない要素もありますね。

もう一つ、大切な視点は、健康を損なわないように、どのような選択をするのか? ですね。

過度の我慢比べで、健康を損なっては、費用的にも、時間的にも代償を支払うことになります。

一人一人の体調に合わせて、適切な体調管理をしていきたいですね。

充足した人生のために大切なコト 箴言12:11

『自分の土地を耕す人はパンに飽き足りる。意志の弱い者は空を追う。(箴言12:11新共同訳)』

「自分の土地を耕す人」とは、自分の立ち位置を理解し、自分に与えられている家庭や才能、仕事に集中できる人ですね。

その中で、充足感や満足感を味わえる人は、とても幸せな人です。

でも、「意志の弱い者」と言われている人が多いのも現実です。

誰でも、この要素はあるのではないでしょうか?

これについては、優柔不断と表現した方が分かりやすいでしょうか?

自分の範囲に集中できず、周囲をキョロキョロ気にしている人というイメージですね。

田畑を管理している人でも、取り組み方は千差万別で、そこから得られる収穫は、品質や充実感に至るまで、大きな差があるように感じられます。

人間には、創造主である神から与えられた天賦の才が与えられています。

それを発見して、それに集中できる人は、幸せなのでしょうね。

それは、一人一人、内容もスケールも違うので、それぞれの器に応じた用いられ方がされれば、成果が見える形で現れることでしょう。

収穫の喜びは格別です。

しかし、これには、自分だけの努力では及ばないこともありますから、すべて条件が揃ってこその成果なのですから、自分が与えられた才能を含めて、天来の比率が高いと考えています。

しかし、それと合わせて、自分の意志による努力がないと、充足感や満足感は乏しいモノになってしまいます。

良い汗をかいて、より良い人生を歩みたいですね。

人間の弱いところ マーガレット・ドラブル

『人は、現実に耐えることができる。しかし、絶え間ない憂鬱にはもろいものです。 マーガレット・ドラブル

人間は、覚悟をすれば耐えられる事もあります。

注射の針がチクッとくるのが嫌な人でも、ホンの一瞬と思えば、大抵の人は我慢できます。

それ自体をショックに感じる人もいますから用心が必要ですね。

また、冬の寒さも、寒い寒いと感じても、身体は慣れていくという順応性を持っています。

これが、現実に耐える人間の肉体的な生命力の強さなのでしょうね。

しかし、どれだけ屈強に見える肉体の持ち主でも、心が屈強とは限りません。

大きな身体の持ち主ほど、優しいというか、繊細な神経を持っているとさえ言われています。

「絶え間のない憂鬱」という表現について、筆者が持つイメージは、「自分にとって良くないことが起きるだろうというイメージのグルグル自動思考」です。

あるモノや肯定的なイメージが多くあるのに、ついついマイナスのイメージに引き寄せられて、それに支配されてしまうのです。

逃げよう逃げようとしても、そう思えば思うほど、マイナス自動思考スパイラルに巻き込まれていく人も多いですね。

「大丈夫」と感じたくても「憂鬱」の流れを絶えず感じ取ってしまい、まるで、強力な磁力に吸い寄せられていくのです。

人間が、趣味や嗜好を持つのは、この憂鬱から離れる可能性があるからです。

人間の持つ、心や思考は、それぞれに容量がありますから、ここが、「憂鬱」に満たされると、どんな良いことでも入る余地がなくなってしまうのでしょうね。

心に、ある程度の大丈夫エキスがあれば、「憂鬱」に感じるコトでも、一つの課題として向き合っていけるのでしょうね。

「憂鬱」に支配されないだけで、もっと幸せを実感できますね。

デジタルデータの断捨離

コンピュータの容量は、初期型に比べたら、イメージできないほど飛躍的に、大きくなりました。

MB単位だったのが、GBになり、そして、今やTBになりました。

データサイズが大きな画像や動画が増えてきたのと、OSの肥大化に対応するためにそのようになってきたようですね。

スケジュール帳を電子化するか? 紙ベースが良いか? の論議はまだまだ続きそうです。

そもそも、見える所に必要な情報がないと、結局のところ、無いのと同じなのではないでしょうか?

スケジュールアプリにも、リマインド機能などがあり、タイマーアラームやメールなどで知らせてくれます。

また、手書きができるアプリも増えてきて、文字入力が苦手な人でも、だんだん使いやすくなってきているイメージがあります。

それにしても、筆者の場合は、紙ベースとスマホの複合型が現実的です。


その中で、以前から積み上げてきたデータをどうするかを考えては、消去するのをためらい、ついついそのまま放置しながら、たまにバックアップをするというコトをダラダラ繰り返しています。

現実問題として、スパッと、消去できないのです。

また、流用できるかも知れないという考え方ですね。

現物の断捨離でも、空間に対して適正か? などの問いは承知しているモノの、「容量は十分にあるから大丈夫」なども、言い訳になっていますね。

これが、筆者のデジタルデータに対する現状です。

ここから、どのような対応に変化するのか? 私自身が一番興味あります。

紙ベースの資料でも、不思議な体験をしたことがあります。

ある資料を廃棄したら、それに関する問い合わせが来たことがあります。

ある意味、不思議なシンクロニティーともいうべき現象ですね。

まあ、そんなこともあり、ナカナカ、デジタルデータの断捨離が進まないのかも知れませんね。

モーセの妻ツィポラ(チッポラ)について 出エジプト4:25 出エジプト18:2

『そのとき、ツィポラは火打石を取って、自分の息子の包皮を切り取り、モーセの両足に付けて言った。「まことに、あなたは私には血の花婿です。」すると、主はモーセを放された。彼女はそのとき、割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。(出エジプト4:25新改訳2017)』

『それでモーセのしゅうとイテロは、先に送り返されていたモーセの妻ツィポラと彼女の二人の息子を連れて行った。その一人の名はゲルショムで、「私は異国にいる寄留者だ」という意味である。もう一人の名はエリエゼルで、「私の父の神は私の助けであり、ファラオの剣から私を救い出された」という意味である。(出エジプト18:2新改訳2017)』

 

モーセがエジプトから逃れてミデアンに逃げ込んだときに、遭遇したのが7人姉妹の一人ツィポラ(チッポラ)でした。

井戸の傍らで、順番に割り込む男の羊飼いをモーセが諫めて、ツィポラ(チッポラ)たちを助けました。

それを聞いた、ツィポラ(チッポラ)の父イテロ(エテロ)は、渡りに船とばかりに、モーセを婿に迎え入れたのです。

羊飼いとして生活していたある日、モーセは燃え尽きることがない柴に創造主である神の顕現を体験し、奴隷状態にあるイスラエルの民を出エジプトさせるために出向くようにと召命を受けたのでした。

ツィポラ(チッポラ)は、モーセとの間に2人の息子がありましたが、次男のエリエゼルには割礼をしていませんでした。

父イテロ(エテロ)の許可を得て、妻子共にエジプトに向かっていたモーセが主に殺されそうになったときに、妻が次男に割礼をして、モーセの解放者としての資格を回復することができたのです。

アブラハム契約の約束の地へとイスラエルの民を導く役割のモーセが、自分の子に割礼を授けていないことが神の怒りの本質だったのです。

どうやら、アロンと合う前か後あたりで、モーセの妻ツィポラ(チッポラ)は2人の息子と共にミデアンの実家に送り返されたようです。

割礼の一件で、モーセの妻ツィポラ(チッポラ)は、出エジプトの体験を味わえなかったようです。

誰とどのような契約があるのか?

その内容は、どういうものなのか?

この点検作業も、時には大切でしょう。

また、自分が創造主である神に対して、信仰を維持し続けているのか? 不信仰に陥っていないのかを点検することも大切ですね。

動画 夢の中の出来事 パート2


Husky Loves to Run in His Sleep || ViralHog

まさに夢中で身体を動かしています。

どうやら、どこかに向けて走っているみたいですね。

いまは、人間社会にもVRという技術が普及して、疑似体験ができるようになってきているのですが、そのような機器も要らずに夢に浸っていますね。

何者からか追われているような、悪夢で無いことを願います。

寝言、歯ぎしり、寝相の悪さが、家族の争いに発展するケースが多いので、人間としては用心したい所です。

熟睡できること、できればポジティブな夢を見ることができれば幸福感もあがりますよね。