永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

信仰者たち ヘブル11:13

『これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。
しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。(ヘブル11:13、16新改訳2017)』

モーセはの長男をゲルショム(寄留者)、次男はエリエゼル(神は助け)と命名しました。

人間は、この地球上に生命を授かって生まれて来ますが、やがて、肉体的生命を終えて旅立ちます。

こう言う意味においては、全人類がこの地球上では、寄留者であることを示しています。

ヘブル書の11章は信仰について記されています。

アベル、エノク、アブラハム、イサク、ヤコブ、などの名前が挙げられています。

イスラエルの民は、アブラハムからイサク、ヤコブへと引き継がれていたのです。

アブラハムは、カルデアのウルからハランを経て、約束の地にたどり着きました。

それには、創造主である神の導きは不可欠でしたが、それと同様に信仰が不可欠だったのです。

人間の限界を超えた所で、創造主である神の御手のワザによって、次のステップが示されて言ったのです。

そして、彼らは地上を後にしました。正に、彼らは地球上では寄留者だったのです。


モーセは、大叔父の名前を自分の長男につけたようです。

その名はゲルショム、「私は外国にいる寄留者だ」という意味だそうです。

モーセは、エジプトからミデアンに逃れていた間に、イテロの娘チッポラと結婚しましたから、その時のモーセの心境が、それだったのでしょうね。


寄留者であり信仰を持つ人間(信仰者)がたどり着く、究極の約束の地は、用意された「天の都」です。

これを、心に定めると、寄留者としての地上生活に集中できますね。

アブラハムと同じ信仰を持つ子孫が、今日も加えられているのです。