永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

わかりやすい聖書ガイドヨハネの黙示録発売中。肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

パウロは生きてデルベ、アンテオケへ 使徒の働き14:20-28

『14:20 しかし、弟子たちがパウロを囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバとともにデルベに向かった。
14:21 二人はこの町で福音を宣べ伝え、多くの人々を弟子としてから、リステラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返して、
14:22 弟子たちの心を強め、信仰にしっかりとどまるように勧めて、「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」と語った。
14:23 また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食して祈った後、彼らをその信じている主にゆだねた。
14:24 二人はピシディアを通ってパンフィリアに着き、
14:25 ペルゲでみことばを語ってからアタリアに下り、
14:26 そこから船出してアンティオキアに帰った。そこは、二人が今回成し終えた働きのために、神の恵みにゆだねられて送り出された所であった。
14:27 そこに着くと、彼らは教会の人々を集め、神が自分たちとともに行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。
14:28 そして二人は、しばらくの間、弟子たちとともに過ごした。 使徒の働き14:20-28新改訳2017』

パウロは石打ちにされて死亡した。(実際には死んでいませんが…)」

今の時代なら、速報級の出来事でしょう。

当時でも、その日の夜、その話題は、広範囲に駆け巡ったのかも知れません。

でも、そこに居合わせた信仰者たちが、瀕死の状態で町の外に運び出されたパウロを囲んでいました。

そうすると、パウロは「立ち上がって町に入って行った」のです。

この奇跡的な癒やしは、この町の人に、創造主である神【主】への畏怖の念を抱かせたことでしょう。

そして、その翌日、パウロバルナバに支えられ、約95km離れたデルベへ移動しました。この町は、ローマ帝国の東端でした。

パウロの第一次伝道旅行は、帰りのコースに入ります。

その中には、パウロバルナバの一行が迫害された町もありました。

どうして、迫害された町にも立ち寄ったのでしょう?

それは、弟子訓練をするためだったのだと考えられています。

神の国に入るために、多くの苦難を経る」ことや「信仰に留まる」大切さを伝えたのでしょう。

パウロバルナバが実践した、信仰、献身、勇気は弟子たちの模範になったのです。

また、聖書を体型的に理解することの大切さも伝えたのです。

さらに、「メシア的王国に入るまでに起こること」、「教会の組織化(長老制)」も伝え、あとは、「信仰で【主】に委ねた」ということです。

このようにして、約一年半に及んだ第一次伝道旅行は、A.D.49年に幕を閉じたのです。

ある教会は、この箇所を引用したりして、組織として会員信者に苦難を強要する事がありました。でも、それは、誤解、誤用です。信仰生活には、苦難が伴うのであって、わざわざ、難行苦行をすると言うことでは無いからです。

また、信仰者が自己儀的正義感を振り回して、周囲から疎まれることを迫害と位置づけることも的外れです。

信仰の表明をした結果として、一時的に周囲から総スカン状態になることもあります。でも、その様な状況でも、【主】に真っ直ぐ向き合い、自分の役割を忠実にしていれば、周囲の視線も変化するでしょう。

真摯な信仰態度こそ、一番、大切なのですね。

 

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