永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

わかりやすい聖書ガイドヨハネの黙示録発売中。肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

ユダヤ人信者をサポートするアンテオケ教会 使徒の働き11:27-30

『11:27 そのころ、預言者たちがエルサレムからアンティオキアに下って来た。
11:28 その中の一人で名をアガボという人が立って、世界中に大飢饉が起こると御霊によって預言し、それがクラウディウス帝の時に起こった。
11:29 弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。
11:30 彼らはそれを実行し、バルナバとサウロの手に託して長老たちに送った。 使徒の働き11:27-30新改訳2017』

新改訳2017では、アンティオキアと表記されています。しかし、よく使われる「アンテオケ」も同じ意味ですので、ここでは、どちらの表記も混在しますので、ご了承ください。

そのころとあるのは、バルナバがサウロを招いた一年後(AD44年頃)事と言われています。

エルサレムから預言者たちが来ました。そもそも、預言者とは、神の啓示を受け取り、民に伝える役目の人です。

ここで、名前が出てくるのが、アガボという人です。それは、大飢饉についてでした。それは、あやふやな予測ではなく、神の真理が伴っていると言うのが預言です。

アンテオケは裕福な教会でした。一方、エルサレム教会は、貧しい教会で、しかも、AD44年頃は、経済的にもどん底だったと言われています。

アガボの預言で、エルサレム教会のサポートのための準備がはじまりました。

エルサレム教会へのサポートは、アンテオケ教会の一人一人が、自発的にそれぞれの財力に応じてささげたことでしょう。

これを、バルナバとサウロが運ぶ事になったのです。

ヨセフスが記述した歴史伝承によると、AD44年~49年にかけて何度かの飢饉があり、その中でも、AD46年が一番厳しかったとあります。

その一番厳しいときに、エルサレム教会へのサポートが行われました。

その頃、エルサレム教会界隈では、使徒ヤコブの死であったり、御使いによる出獄などがありました。

困窮が著しいタイミングで、アンテオケ教会の支援金は、バルナバとサウロによって、届けられたのです。

それを受け取ったのは、エルサレム教会の長老たちです。教会の成長の流れは、使徒中心から、長老中心へと移行したのは、聖書の中では、この箇所からです。

イスラエルに限らず、ユダヤ人の成年男子が10人いれば、シナゴーグが建てられ、目に見える形のコミュニティーがありました。初期の伝道スタイルは、シナゴーグで福音を語りました。そして、教会の形式もシナゴーグの長老制に学んだ形式になっていったというのが、自然な流れだったのでしょう。

この起点を生かし、福音の伝達は、エルサレム教会からアンテオケ教会に伝わりました。

そして、アンテオケ教会が成長し、母教会へ支援をおくるほどになったのです。

また、アンテオケ教会は、ユダヤ人と異邦人と創造主である神【主】との関係を示すモデルとなりました。

それが、後の世界宣教に繋がる形式のモデルになったのです。

 

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