永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

王の友として 箴言22:11

『22:11 心のきよさを愛し、優しく話をする者は、王がその友となる。箴言22:11新改訳2017』

「王がその友」と読むと、なぜだか、この讃美歌が浮かんできました。

讃美歌312番 
いつくしみ深き

いつくしみふかき ともなるイエス
つみ とが うれいを とりさりたもう
こころのなげきを つつまず のべて
などかは おろさぬ おえる おもにを

いつくしみふかき ともなるイエス
われらのよわきを しりて あわれむ
なやみ かなしみに しずめるときも
いのりに こたえて なぐさめたまわん

いつくしみふかき ともなるイエス
かわらぬ あいもて みちびきたもう
よの とも われらを すてさるときも
いのりに こたえて いたわりたまわん
https://www.worldfolksong.com/hymn/friend-jesus.html

 

「友なるイエス」をどのように捉えるかは、人によって異なるでしょう。

私は、いのちをかけて助けてくれた「友」という実感を持ちたいと考えています。それは、私が肉体的生命に背負っているどうすることもできない課題である「罪」を贖って解決してくれたからです。

これが、「つみ とが うれいを とりさり」という部分です。

さらに、「などかは おろさぬ おえる おもにを」とあるのは、解決策が示されているのにいつまで、自分で背負いきれない重荷を背負うのでしょう?

人生には、努力も頑張りも必要ですが、助けてもらう必要があることも出てきます。自分で背負いきれない重荷は、引き取ってもらった方が良いと思います。

次に、「われらのよわきを しりて あわれむ」と出てきます。

メシアであるイエス・キリストは、100%神でありながら、100%人として地上で生活され、人間の喜怒哀楽を味わい、サタンの誘惑にも打ち勝ったのです。

そのイエスが友として、私の弱さを知って憐れんで下さるのです。それは、経験に基づいて寄り添ってくださると言うことです。

唯一の義人だからできた罪の贖いですが、それには、創造主である神【主】の愛が裏付けとしてあるのです。

それが、「かわらぬ あいもて みちびき」と歌われている部分です。創造主である神【主】の愛に包まれて、人間は生かされていると考えると、すごくホッとできるのです。

これが、創造主である神【主】を信じる信仰者の特権なのですね。

聖書をどの様に理解するかによって、「友なるイエス」の理解は変わります。あなたにとってはいかがでしょうか?