永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

モーセの祈り 出エジプト33:12-23

『さて、モーセは【主】に言った。「ご覧ください。あなたは私に『この民を連れ上れ』と言われます。しかし、だれを私と一緒に遣わすかを知らせてくださいません。しかも、あなたご自身が、『わたしは、あなたを名指して選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている』と言われました。今、もしも私がみこころにかなっているのでしたら、どうかあなたの道を教えてください。そうすれば、私があなたを知ることができ、みこころにかなうようになれます。この国民があなたの民であることを心に留めてください。」主は言われた。 「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。 」モーセは言った。「もしあなたのご臨在がともに行かないのなら、私たちをここから導き上らないでください。私とあなたの民がみこころにかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちと一緒に行き、私とあなたの民が地上のすべての民と異なり、特別に扱われることによるのではないでしょうか。」【主】はモーセに言われた。「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名指して選び出したのだから。」モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」主は言われた。「わたし自身、わたしのあらゆる良きものをあなたの前に通らせ、【主】の名であなたの前に宣言する。わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」また【主】は言われた。「見よ、わたしの傍らに一つの場所がある。あなたは岩の上に立て。わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れる。わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおっておく。わたしが手をのけると、あなたはわたしのうしろを見るが、わたしの顔は決して見られない。」(出エジプト33:12-23新改訳2017)』

金の子牛事件の後に変わった事は、民の中に居た【主】が居なくなり、シャカイナグローリーが現れなくなりました。モーセが率いるイスラエルの民を導くのは、メシア(第2位格)から被造物である天使に変わりました。これは、イスラエルの民にとって衝撃で、悲しみを表現し、悔い改める意思表示をしました。

もう一つ重大なことがありました。それは、出エジプト25章-31章で命令された幕屋に関してで、白紙撤回される事態に直面していたのです。それは、シナイ契約に違反したイスラエルの民が抱えていた事でした。でも、【主】の配慮で、さばきを先送りにして、次の段階にチャンスを与えるためでもありました。

モーセは、宿営の外に天幕(テント)をはり、その場所を会見の天幕と名付けました。その中に、モーセが入ると雲の柱が降りてきて、【主】がモーセと語られたのです。
イスラエルの民は、モーセへの尊敬の念を抱きながら、この光景を固唾をのんで、遠目に見ていたのです。

【主】とモーセの関係は良好でした。モーセの信仰を受け入れて下さったのです。また、モーセは【主】とイスラエルの民の和解の可能性が残されていることを信じて、期待していました。

モーセの祈りは3つのお願いでした。
①「あなたの道を教えてください(12-13)」
モーセは、道先案内が被造物の御使いに変わった事への不安を吐露しています。これに対して、「わたしの顔が行く(14直訳)」と応じ、金の子牛事件で破棄されかけたシナイ契約の幕屋を建てることと、モーセだけの安息ではなく、イスラエルの民全体の安息を約束されました。

②「いったい何によって知られるのでしょう(15-16)」
【主】がともに居てくれないと、選民としての印籠がない状態になるので、それなら、荒野に居た方がまだましです。それに対して「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名指して選び出したのだから。(17)」と応答されました。

③「どうか、あなたの栄光を私に見せてください(18)」
モーセの願いが大胆になってきていますね。これに対して「わたし自身、わたしのあらゆる良きものをあなたの前に通らせ、【主】の名であなたの前に宣言する。わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」と応答しました。モーセの求めた神の栄光は「あらゆる良きもの」と表現され、【主】の性質と主権をの宣言をされたのです。また、有限である人間には「わたしの顔」と記されている神の栄光をすべて見ることはできませんが、その片鱗を「わたしのうしろ」で見せると言われました。
モーセの祈りは、【主】に届き、愛に満ちた応答があったのですね。