『しかしモーセは、自分の神、【主】に嘆願して言った。「【主】よ。あなたが偉大な力と力強い御手をもって、エジプトの地から導き出されたご自分の民に向かって、どうして御怒りを燃やされるのですか。どうしてエジプト人に、『神は、彼らを山地で殺し、地の面から絶ち滅ぼすために、悪意をもって彼らを連れ出したのだ』と言わせてよいでしょうか。どうか、あなたの燃える怒りを収め、ご自身の民へのわざわいを思い直してください。あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたはご自分にかけて彼らに誓い、そして彼らに、『わたしはあなたがたの子孫を空の星のように増し加え、わたしが約束したこの地すべてをあなたがたの子孫に与え、彼らは永久にこれをゆずりとして受け継ぐ』と言われました。」すると【主】は、その民に下すと言ったわざわいを思い直された。(出エジプト32:11-14新改訳2017)』
シナイ契約破棄の危機です。
モーセがシナイ山で、律法を授与されている間に、不安になったイスラエルの民は、アロンにプレッシャーをかけて、金の子牛を作るという事件が起きました。
イスラエルの民の願望は、「モーセに何かあったら自分たちがどうなってしまうだろう?せめて、見えるもので安心を得たい」というものでした。
人間は、その時を「待てない罪」を犯してしまうものです。
また、自分たちで安心を作ろうとしたのです。
アロンも不安だったのでしょう。とりあえず時間を稼ごうとでもしたのでしょうか?
人間は、目先の利益のためには、犠牲を惜しまず迅速に行動をします。アロンが妻、息子、娘がつけている金の耳輪などエジプトからもらってきたものを持って来るように指示するとあっという間に集まりました。
牛は、豊穣のシンボルです。祭壇お前で戯れる行為は、性の乱れに繋がるので土着民の風習から聖別するために禁じられていたことです。アロンが主導して、型を作り、金を流し込み鋳像が出来上がりました。
「明日はお祭りだ!」 そして、当日、ドンチャン騒ぎがはじまりました。
その様子を創造主である神はご存じでした。モーセを促し民のところへ行くように指示しました。
従者のヨシユアは、経験の浅さから、その声を戦の声と勘違いしました。モーセにはわかっていたのです。
モーセは、激しく怒って、創造主である神から授与された石板(さとしの板)を山のふもとで砕きました。それをイスラエルの民のところに持っていけば大変な事になると考えたからです。
創造主である神も怒っていました。それは、神の義に基づくものです。
その【主】とイスラエルの民の間に仲介者として立っているのがモーセです。
冒頭の聖句は、モーセの【主】に対する執り成しです。
大切なことがあります。この箇所では、シナイ契約の話をしていますが、その前にアブラハム契約がありました。それによれば、アブラハムを父とするイスラエルの民が全滅させられることはないのです。
人間の弱さと自分の欲望を安易な方法で為そうとする浅はかさを浮き彫りにすることによって、【主】に対する信仰(信頼)の大切さを示唆している箇所でもあります。
【主】は、モーセに対して執り成しの機会を与えるために、金の子牛事件を容認された一面もあります。