永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

「解放された実感を持つ大切さ」 出エジプト16:1-3

『1 イスラエルの全会衆はエリムから旅立ち、エジプトの地を出て、第二の月の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野に入った。
2 そのとき、イスラエルの全会衆は、この荒野でモーセとアロンに向かって不平を言った。
3 イスラエルの子らは彼らに言った。「エジプトの地で、肉鍋のそばに座り、パンを満ち足りるまで食べていたときに、われわれは【主】の手にかかって死んでいたらよかったのだ。事実、あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出し、この集団全体を飢え死にさせようとしている。」 出エジプト16:1-3 新改訳2017』

新年を迎えることができました。

心機一転 同じ場所でも、根をはり、飽きずに、できることをコツコツと取り組んで行きたいと考えています。

新年の始まりは、新たなスタートですから、「今ココ」からの思考をし、行動に移していきたいですね。

それでも、過去を懐かしんだり、悔しがったり、悔やんだりに、意識が持って行かれそうになる傾向を人間は持っています。そのクセは、エネルギー効率を考えると、非常にモッタイナイのですが、ついついそのようにしてしまうモノです。

かつてのイスラエルの民がそうでした。アブラハムが、創造主である神【主】に召命を受けて、イスラエルに住み始めて、イサクへと約束の系図が引き継がれ、その次世代、ヤコブの時代に食糧危機に直面し、エジプトに助けを求めるという流れになりました。

でも、そこは、一時は安住の地でしたが、政治体制が変わり、イスラエルの民は、奴隷状態になりました。それでも、イスラエルの民は、その状態で良いと考えている一面がありました。

【主】がモーセナイル川から王女の手により引き出し、エジプトの最高の教育を受けさせ、またミデアンで訓練し、そこから出エジプトのリーダーとして、召し出しました。

【主】からの働きかけがなければ、イスラエルの民は、ずっとそこにとどまり続けていたことでしょう、案外、人間は変化を嫌う保守的な性質を持っているようです。

奴隷からの解放は、自由にされるという喜びの一面がありますが、自由になると、果たして何をしようかと戸惑うことにもなりますからね。

イスラエルの民は、出エジプトをして、エジプト軍の追ってから逃れ、荒野の旅路へと進み出したのです。

そして、「シンの荒野」に入った所で、冒頭の聖句にある「荒野の自由よりも、奴隷状態のエジプトの方が良かった」という、【主】へのつぶやきが噴出してきたのです。

客観的に見れば、「エジプトの奴隷状態」よりも「荒野の自由」の方が良いはずですが、「あの頃が良かった」というマインドになっているのですね。

それでも、【主】はその声に耳を傾け、「マナ」を早朝に供給することにしました。これは、「25 それで人々は御使いのパンを食べた。神は満ちたりるほど食物を送られた。詩篇78:25 新改訳2017」とも翻訳されている物です。どのような味なのか興味があります。「マナ」は、一人当たり1オメル(2.3L)、多く集めても少なく集めても同じ量を得ることができました。また、翌日の分を残しておくと腐るのです。これは、「日々の供給を主に信頼する」という教訓でした。また、安息日の前日だけは、2日分を拾うように命令されました。また、肉のリクエストに対しては、ウズラを供給されました。

【主】からの供給を感謝しつつ受け、自分のできる範囲に集中し、その分の役割を果たして行きたいと考えています。