永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

現代の社会について 夏目漱石

『現代の社会は孤立した人間の集合体に過ぎなかった。大地は自然に続いているけれども、その上に家を建てたら、忽ち切れ切れになってしまった。家の中にいる人間もまた切れ切れになってしまった。 夏目漱石『それから』(新潮社)』

「孤立した人間の集合体」という表現は、現代社会に生きる人間としたら、わかりやすいです。

夏目漱石は、今の時代を見ていたようなニュアンスも感じるのですが、当時からその様な傾向が顕著にあったのだと想像します。

江戸の時代の長屋について、熱く語っている人の話が耳に飛び込んできました。

それによると、江戸の長屋は、家族とはまた違うタイプの生活共同体で、コミュニティとして有用だったと言うのです。

人格的には、独立しているはずが、人情溢れる住民は、時には、それを越えてお節介を働くという、弱っているときには、じわってしまう上が飛び交っていたようです。

それから時代が進んで、ますます、人間は孤立を極めている傾向を感じます。

家を建てるにしても、土地を選び、地業を丁寧にして、大丈夫な地盤に、しっかりした建物を建てるのが基本だったようです。

耐震検査の調査をしていた建築士が、江戸時代の建物を担当しました。その建物は、東西南北の倒れが「プラスマイナスゼロ」だったという結果に驚愕していました。

でも、その原則から外れるような、状況に、いつしかなっていったのです。

水はけが悪くても、地盤が悪くても、お構いなしに、土地を売り、家を建てさせたのです。

以前から、持ち家派と、賃貸派のどちらが勝ちという論議があります。

私は、維持できれば、どちらでも良いのではないかと考えています。

でも、ライフスタイルの変化に合わせて、それぞれの条件を当てはめて、慎重に検討するのがよろしいようです。

家を増やすと言うことは、昔の大家族から、核家族に変化します。ここにも、独立という名の孤立が生じます。

その巻き返しの同居も増えているようですが、何れにしても、課題はあるようです。

プライベートをある程度、尊重しながら、同居できるのであれば、理想形かも知れません。

孤立無援にはならないように、何らかの対策と配慮を考えたいですね。