永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

もらう有り難みと差し上げる喜び

予期していない何かをもらうと、うれしい時があります。

自発的に選んだものを誰かに差し上げると、予想以上に喜んでもらえることもあります。

『…主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことば… 使徒の働き20:35新改訳2017』

聖書には、このように書いてあります。

与えると言っても、受け取ってくれる誰かがいなければ成立しません。

差し上げるのも自由意志ならば、受け取る側も自由意志です。

断られることもあると思います。

でも、これが成立するならば、その関係性は、すばらしい事だと思います。

差し上げる側にも喜びがあり、受ける側にも有り難みを感じるという訳です。

これには、大切な要素が含まれているのではないかと、私は推察しています。

それは、受け渡しに「愛」があり、「条件は伴わない」ことです。

条件とは、何かをしてくれるなら、これをあげても良いという考え方です。

愛は、無条件の世界です。

そして、無代価ではないでしょうか?

「ギフト」という愛の贈り物は、その間に幸せを作り出すのではないでしょうか?

セールスにおどらされる「ギフト」には、「反しがついた釣り針」が仕込まれているのではないかと感じることがあります。

何かの付帯条件がついていたりして、それに気づくと、幸せが遠のいていくような気がするのです。

もちろん、送る側にその意図がなくても、アプローチが悪いと、相手を警戒させてしまうこともありますね。

ホンワカした関係性を期待しながら、両者の間に漂うユトリを味わいたいと考えています。