永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

虚栄心と自尊心 ショーペンハウアー

『虚栄心はひとを饒舌にし、自尊心は沈黙にする ショーペンハウアー

自信は人にどの様な影響を与えるのでしょうか?

大人しい人が多いという印象もありますが、黙っているとリスク回避できるからと考えている人もいるようです。

自分のことを考えると、いつも饒舌というわけではなく、話せる場所を選んでいるように感じています。

それは、伝えたい人と合っているときや、聞いてくれそうな相手、沈黙が長すぎる場合です。

適度に、話を腰を折らないように配慮したいとは考えているのですが、ある人には迷惑をかけているかも知れませんね。

口を開けば自慢話やほら吹き話という人もいます。とにかく自分のことを饒舌に話す人がいます。

聞いている側が、こんなことを言っていて大丈夫かな?と感じるほどの内容になると、話半分の八掛けで受け取るようになってしまいますね。

でも、黙して語らない人もいます。人望が厚く、勤勉で誠実な人ほど、そのような傾向を感じます。

冒頭のフレーズは、これらの対比を見事に表現していると感じます。

自己防衛という視点から考えると、虚栄心は自信のなさの根本ですから、それを覆うための鎧が必要なのだろうと推察します。

また、自尊心を健全に保てる人は、十分な鎧を確保しているので、饒舌さは必要ないというイメージを私は持っています。

自己評価に関しては、どの視点からの評価なのかを吟味する必要があります。

気を付けたいのは、自分を下げすぎる歪んだ評価は、自分のためにも良くない方向性です。

自分の健全な自尊心を支えるためには、客観的な評価と、自分自身がどれくらい努力しているのかなどを加点評価にする方が、良いようです。

ユーモアは大切ですが、ホラは吹くことによって、自尊心を傷つけることがないように気を付けたいと考えています。

 

アルトゥール・ショーペンハウアー(独: Arthur Schopenhauer,1788年2月22日 - 1860年9月21日)は、ドイツの哲学者[1]。主著は『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung 1819年)[1]。舞台発音ではショーペンハウエル、ショウペンハウエルとも[2]。
カント直系を自任しながら、世界を表象とみなして、その根底にはたらく〈盲目的な生存意志〉を説いた[1]。この意志のゆえに経験的な事象はすべて非合理でありこの世界は最悪、人間生活においては意志は絶えず他の意志によって阻まれ、生は同時に苦を意味し、この苦を免れるには意志の諦観・絶滅以外にないと説いた[1][29]。この厭世観的思想は、19世紀後半にドイツに流行し、ニーチェを介して非合理主義の源流となった[1]。当時支配的だったヘーゲル哲学に圧倒されてなかなか世間に受け入れられなかったが、彼の思想は後世の哲学者や文学者、とりわけニーチェワーグナー、トーマス=マンらに大きな影響をあたえている[30]。

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