『わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。あなたの目が、わたしの道を喜ぶようにせよ。(箴言23:26新改訳2017)』
「心を与えよ」「心を向けよ」「心を…ゆだねよ」などに日本語訳をされています。
自分の心なのに、渡してしまって大丈夫?
本当に、慎重に判断する必要があるテーマです。
創造主である神は、人間に100%の自由意志を与えています。
友好的な人にも、反抗的な人にも、等しく生存するために必要不可欠な酸素を共有し続けているのが、創造主である神です。
何か条件付きの話のようにも見えます。
しかし、「あなたの目が、わたしの道を喜ぶようにせよ。」と記されているのは、心をゆだねることで、たどり着くことができる安息の地を示されているようです。
人間には、残念ながら、創造主である神との関係を隔てる「罪」の性質があります。
それが、反抗的態度に表れてくるのです。
その性質は、創造主である神の道を喜ぶことができません。
創造主である神の道とは、「罪」を解決し、永遠の生命を確約された希望なのです。
それを阻もうとするサタンの感化が、創造主である神への反抗心をかき立てているのです。
つまり、創造主である神の希望に心をゆだねると、変化が生じます。
それは、創造主である神に対して、反抗心がない平安な心です。
さらに、創造主である神を喜ぶことができ、【主】とともに、良きワザが行える備えられた心です。
これらが、思いやりであったり、本質的な喜び、また平和を体現していくことに繋がっていくのですね。
それこそ、御霊の実である「愛・喜び・平和……」に現れてくるのですね。