永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

一生懸命なのに辛い時には 夏目漱石

『自分のしている事が、自分の目的(エンド)になっていないほど苦しい事はない。夏目漱石『行人』(新潮社)』

人間は「空しい」とか「もどかしい」という気持ちを味わっています。

それは、何かの充足感や達成感、または、評価、報償、賞賛を求めている裏返しなのかも知れません。

夏目漱石のこのフレーズは、まるで、そのような体験を伴って、その心情を吐露しているように感じられます。

何かを計画する時には、目的を明確にするようにアドバイスされます。

それに向けて、どのように進んでいくのかを計画していくのです。

でも、いつの間にか、それからはずれて、自分の興味があるところに気をとられ、目を奪われてしまうこともあります。

それが、楽しければ一義的には、良いのです。

しかし、夢中もつかの間の現状に気づくと、激しい後悔に包み込まれることもあるでしょうね。

その瞬間が、「苦しい事」を味わう時なのだと思います。

自分は、何をやっていたのだろうか?という恥ずかしい気持ちも沸き上がってきます。

でも、自分が少しでも楽しんだ道草ならまだ良い方かも知れません。

他のトラブルに巻き込まれたり、暗中模索で、もがき苦しむ時もあるでしょう。

そこから、気持ちを立て直して、もう一度、歩を進めるのはエネルギーも勇気も必要な局面です。

ウサギとカメの話を思い出しました。

カメは、マイペースでこつこつとゴールを目指しています。

ウサギは、自分の能力を過信しているのか? それとも、眠さに負けたのか? 眠り込んでしまうのでしたね。

その結果は、カメがゴールに先についたのでした。

人生には、それぞれのペースがあります。そして、ゴールもバラバラです。

先着の優位性もありません。マイペースで良いのです。

自分が苦しいと感じた時は、「今、自分は苦しいのだ」と、その状態を受容すれば良いのです。

人生には、喜怒哀楽や艱難辛苦は付き物ですから、それを避けようとすれば、別の弊害が出てくる事もあります。

人生は、苦しいことばかりではありません。

様々な感情を味わいながら、自分の目的に向かって歩を進めたいですね。