永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

巻物の封印が解かれる 第5から第6の封印について ヨハネの黙示録6:9-17

『9 子羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てた証しのゆえに殺された者たちのたましいが、祭壇の下にいるのを見た。10 彼らは大声で叫んだ。「聖なるまことの主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか。」11 すると、彼ら一人ひとりに白い衣が与えられた。そして、彼らのしもべ仲間で、彼らと同じように殺されようとしている兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように言い渡された。12 また私は見た。子羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。太陽は毛織りの粗布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。13 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが大風に揺さぶられて、青い実を落とすようであった。14 天は、巻物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山と島は、かつてあった場所から移された。15 地の王たち、高官たち、千人隊長たち、金持ちたち、力ある者たち、すべての奴隷と自由人が、洞穴と山の岩間に身を隠した。16 そして、山々や岩に向かって言った。「私たちの上に崩れ落ちて、御座に着いておられる方の御顔と、子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。17 神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。」(ヨハネの黙示録6:9-17新改訳2017)』

第5の封印が解かれ、ヨハネは天の光景を見せられました。それは、キリストに対する信仰のゆえに殉教の死を遂げた人々の幻で、「彼らは、祭壇の下にいた。」と記されているのは、旧約時代のいけにえの血が祭壇の土台に注がれたこと(出エジプト29:12、レビ4:7)と関係しています。第4の封印の裁き(死)の直後に殉教者たちが登場し、これらの人々は、地から天に挙げられた大患難時代の殉教者たちです。大患難時代にも救われる人たちが多く出ますが、殉教の死を遂げる人たちも多いようです。殉教者たちは、20世紀~21世紀にかけて最も多いですが、それ以上の殉教者が出る時代が到来するのです。

殉教者たちは大声で「いつまでさばきを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか」と叫んで言いました。迫害者たちがまだ生きていて、地に住んでいます。天に上げられた殉教者たちは、神の義が行われることを望んでいるのです。【主】からの回答は、「もうしばらくの間、休んでいなさい」でした。大患難時代はまだ続き、殉教者の数が満ちるまで待つ必要があり、彼らの願いが成就するのは、キリストの再臨の時で、神は地を裁かれます。

彼ら、ひとりひとりに白い衣(義の象徴)が与えられました。天において、殉教者たちはどのような体を持つようになるのでしょうか? 携挙された聖徒たちは、すでに復活の体を持っていますが、大患難時代の殉教者たちは、まだ復活の体を持っておらず、彼らがそれを持つのは、大患難時代の最後になります。それまでの間は、天に住むためにふさわしい一時的な体(中間的な体)を与えられ、再臨の時に、これが復活の体に置き代わるのだと考えられています。

第6の封印が解かれ、ヨハネが見たのは再び地上の光景です。それまでの裁き(主に人間の罪と行為が原因となっていた戦争、飢饉、死、殉教など)とは次元が異なり、神の介入による破壊的な要素が登場するようになります。これらの天変地異に関する預言は、比ゆ的に解釈してはならず、字義通りの解釈が大切です。多くの人が、比ゆ的に解釈したい理由は、罪に対する神の裁きの厳しさを認めたくないからではないでしょうね。しかし、神は、罪人を赦す「愛なる神」であり、それと同時に、神は、罪を裁く「義なる神」でもあります。「愛なる神」にすがれば、「永遠の幸福」、最終的に「義なる神」の前に立てば、「永遠の苦しみ(継続的な刑罰)」とわかれます。

ここに記された天変地異は、終末預言のことばと調和しています。「地震(マタ24:7にあるキリストのことば)」「地震と太陽の暗転(ヨエルの預言…ヨエル2:2、10、30-31)」「天は巻き物ように巻かれる(イザ34:4)」

不信者たちは、神の裁きの時が来たことを恐れるようになります。あらゆる階層の人たちが、「地位も、富も、成功も、なんの役にも立たないこと」に気づき、ほら穴と山の岩間に隠れます。人への警告は、時代ごとになされてきました。しかし、その時の快楽を求める気持ちから神に無関心を決め込み、その結果招いたのはその人自身の選択でした。この時点では、まだ神の最終的な裁きがまだ下っていない「恵みの時」なのですが、不信者たちは、神の恵みによりすがるよりも、隠れることを選んでしまうのです。この選択が「永遠の差」になります。不思議な心理状態ですが、彼らは、死ぬこと以上に、神の裁きを恐れるようになります。そして彼らは、白い御座の裁きを受けることになります。人の霊魂は消えて無くならず、神経を伴って、「永遠の苦しみ生活」へと移行させられるのです。

大患難時代においては、キリストへの信仰の告白は非常に困難なものとなります。信仰者の大半が殺され、7章では、白い衣を着た大群衆(殉教者の群…信仰のために殺された人々)が登場します。さらに、13章では、獣を拝まない者は殺されることになっています。今までの時代にも、理不尽な迫害がありましたが、さらに激化するのです。信仰者は、いつの時代でも「命がけ」という一面があります。でも、それに勝る「永遠の希望」を抱き、天へと凱旋していった方々がいるのですね。