永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

信仰者の故郷は? ピリピ3:20-21

『20 しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。21 キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。(ピリピ3:20-21新改訳2017)』

変に里心(他家や他郷に出ている者が、実家や郷里を恋しく思う心。)がつくと厄介などと言われたりします。しかし、人間には自分の故郷を想う気持ちがどこかにあります。

日本の江戸時代などは、口減らしのために、幼くして丁稚奉公に出したりしていましたから、「里心」が大きくなり、仕事が手につかなかったり、すぐに帰りたくなったりされては困るという都合から、いろいろな気遣いをしていたようですね。

人間には、血縁や縁戚など、繋がりが増えたり減ったりします。でも、自分の思い入れが大きい所に心を寄せる傾向があるのではないでしょうか?

でも、頻繁に顔を見せるとかえって心配させてしまうからと遠慮することもあるかも知れません。

どこかに、想いが寄せられる故郷がある人は幸せですね。

信仰者はどうでしょうか?

肉体的生命では、血縁や縁戚があります。永遠なる生命では、その源である【主】が親であり、その御座がある天こそ、故郷なのです。

「私たちの国籍は天にあり」と記されているのですから、そこに居場所が用意され、整えられているのですね。肉体的生命を終えるか、空中携挙が起きると、その故郷に迎え入れられます。

そして、「ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。」と記されてあります。

これを、専門用語では「栄化(えいか)」と言います。

信仰者の故郷である天には、栄光に輝くからだが用意されているのですね。

信仰者の特権は、天に備えがある希望を持ちつつ、肉体的生命に生かされているのです。

制限のある肉体的生命ですが、その中で、与えられた使命を全うしていきたいものですね。

『2 わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。3 わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。(ヨハネ14:2-3新改訳2017)』

信仰者の故郷は、ただいま準備中です。

天に旅立つ先輩たちは、少しずつ召されていますが、準備が整った段階で、空中携挙となるのですね。