『人間は誕生の瞬間から支配するか、もしくは支配されるか運命づけられる。(アリストテレス)』
運命なのか宿命なのか?
このフレーズを見ていると宿命の色合いを強く感じます。
支配する人を育てる環境は、誰かにしてもらう習慣であり、自分にとって重要なものを選んでいく習慣です。
支配される人は、自分でできる限りの事をして、与えられた物を工夫していく習慣です。
このギャップは非常に大きいですね。
誰かを支配して、多くの人をマネージメントできれば、自分がコントロールできる流れのトラフィックが増えて、それらに利益がのれば、足し算、かけ算になります。
しかし、支配される側は、自分の身体一つで、四苦八苦と悪戦苦闘しているケースが多く、上手くいかない要素があれば、そこで「THE END」を迎えることも珍しくありません。
良好な関係性を維持するための利益配分や対応を間違わなければ、支配下に利益を供給できるという状況を継続できるのです。
しかし、そのノウハウをどのように学び、どのように実践していくかが、支配をする人の力量になるのですね。
アリストテレスが生きた時代(紀元前300年代半ば)には、このような傾向が、特に際立っていた事でしょう。
21世紀の今でも、そのような傾向はあるように感じていますが、栄枯盛衰もあり、伝統的な家系が途絶えたり、新興財閥が登場したり、ナカナカ賑やかな状況のようですね。ただし、このような一面を受け止めつつ、自分のスタート時点からの優位性を考えて、自分にとってのイイとこ取りをしていきたいと考えています。
つまり、この両者のメリットを合わせて、リスクを限定しながら、利を伸ばすための思考を習慣化したいですね。
それには、自分で行える事が基本で、自分に与えられている事を理解する所からが、はじまりですね。
そして、誰かに協力してもらえることや、世の中には選べるものがたくさんあることを理解しておくのです。
財閥でなくても、気軽に外注できる時代なのですから、お互いのメリットになる取引を成立させていきたいですね。
上手くいけば、足し算、かけ算になりますし、少々の失敗は付き物ですから、めげずにチャレンジをしていきたいものです。
アリストテレス(アリストテレース、古希: Ἀριστοτέλης[注釈 1]、羅: Aristotelēs、前384年 - 前322年[1])は、古代ギリシアの哲学者である。
プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば西洋最大の哲学者の一人とされる。知的探求つまり科学的な探求全般を指した当時の哲学を、倫理学、自然科学を始めとした学問として分類し、それらの体系を築いた業績から「万学の祖」とも呼ばれる[2]。