永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

黙って服従する相手とは? アラン

『習慣はわれわれの偶像であって、われわれが服従するから強いのである。 アラン』

アランは、「現代のソクラテス」とも評されたフランスの哲学者、評論家、モラリストです。

アランはペンネームで、本名はエミール=オーギュスト・シャルティエで、「幸福論」で有名です。

第一次世界大戦が始まると46歳で自ら願い出て志願兵となり、戦争の愚劣さを体験するために好んで危険な前線に従軍した。戦争が終わり、除隊後の1921年に戦時中体験した出来事を綴った『マルス、または裁かれた戦争(Mars ou la guerre jugée)』を著したが、愛国者の怒りを買った。

ja.wikipedia.org

 

 

命をかけた実体験から、戦中体験を独自の目線からするという冒険心に富んだ一面を感じます。

その内容は、愛国者の怒りを買うほどの真相を記していたのかも知れませんね。

そのアランのフレーズには、思わず引き寄せられました。

習慣化の大切さをヒシヒシと感じているので、その習慣を変えることがどれ程難しいコトかという発想をもっているのですが、これは、現実的な真相を暴露していますね。

人間が、黙って服従してしまう偶像が習慣とは、まさにその通りですね。

毎日の習慣は、自分の意志で行っているはずですが、どこか惰性で行っている部分があるように感じています。

どうして、その習慣を引きずっているのか考えないで、それをモクモクと繰り返しているのです。

モノの仕分けでも、分類を決めて、「入りと出」を管理する習慣を採用していれば、散らかり続けることはありません。

でも、「入りと出」のバランスが崩れて、保留状態が多くなれば、たちまち、荷物の山が出来上がります。

時間の使い方でも、TVや動画のダラダラ見から抜け出せないと嘆いている人も多くいることでしょうね。

無意識に、自分がその習慣に、服従してしまっているのですね。

その偶像に、時間を吸い取られていると考えた方が良いかも知れません。

それぞれの偶像は何か? という正体に意識を向けて気づくことが、習慣を変える第一歩でしょうから、そこにフォーカスを合わせていきたいですね。