『人が愛したことのない……けっして愛しそうもない人々に対しては真の憎しみはありえない。憎まれるに値しないような人に対しては極端な愛はけっして生まれない。 ポール・ヴァレリー』
「愛憎」の世界観を感じます。
「愛」の反対語は「無関心」と言われます。
このフレーズでは、その事を語っているようです。
流行歌の中に、「別れた人なのに、その人のことばかり考えている」というジャンルがあるように感じています。
別れるというのは、様々な理由があり、単に、無関心になったから関係を清算するという事ばかりではないようです。
お互いに関心があっても、離れざるを得ないような事情というモノもあります。
別れたという事実を考えると、自分自身のことや新しい出会いを考えていくのが最大の関心事になるはずです。
しかし、人間は複雑な生き物なのかも知れませんね。
ポール・ヴァレリーが指摘しているのは、関心を持てない人には、愛も憎しみも感じないと言うのですね。
「愛」の反対側には、「憎しみ」の他にも、様々なモノが隠れているのでしょうね。
憎いほど愛した人がいる経験があるなら、深くうなづいてしまうフレーズでしょうね。
また、自分のすべてを捨ててでも、その人と一緒に居たいと考えた経験は刺激的です。
そのようになると、やがて訪れる結末は、「超ハッピーエンド」か「憎しみ」に打ち震えるかなのかも知れませんね。
これは、フランス第三共和政を代表する知性と称されるポール・ヴァレリーのフレーズでした。
アンブロワズ・ポール・トゥサン・ジュール・ヴァレリー(仏: Ambroise Paul Toussaint Jules Valéry, 1871年10月30日 - 1945年7月20日)は、フランスの詩人、小説家、評論家。多岐にわたる旺盛な著作活動によってフランス第三共和政を代表する知性と称される。