永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

味わうということ 箴言20:17

『だまし取ったパンはうまい。しかし、後でその口は砂利でいっぱいになる。(箴言20:17新改訳2017)』

「砂をかむような味気ない」と歌った曲がありました。

砂をかんだ時を想像するだけで、嫌な記憶を呼び覚ます、何ともいえない状況ではないでしょうか?

後味の悪さについての絶妙な表現ですね。

「だまし取ったパン」とありますが、この部分は、単に食物というわけではなく、金品や人の手柄を横取りしていないかを探られます。

自分の言動を振り返ると、誰かのアイデアを横取りしたとか、自分だけの手柄を求めがちな部分を感じる人もいるでしょうね。

「私が」と主張したい人もいます。

もし、「私が」と迫ってきたら、自分に利害関係が無いなら、適当にやり過ごす(スルー)のが最良の策かも知れません。

しかし、自分の権利を侵害するような内容であれば、何かのアクションを取る必要も出てきます。

さて、後味の悪さを感じないために、「自分だけ」のために「我田引水」する所から距離を置くことです。

もちろん、自分の利益を守ることは必要ですが、主張できる根拠をもっておく必要はありますね。

信仰者であれば、創造主である神の視点で考えることができます。

イデアも【主】から賜ったモノとの考え方です。

まず、【主】に主権があることを認めて委ね、「自分だけのためでなくてはダメ」という領域から解放されると言うことです。

これは、著作権などの権利を放棄することではありません。

まず、自分が他人から侵害されたと感じたことよりも先に、他人を侵害したことを思い起こす方が先決ですね。

相手に非があったとしても、極端に相手を貶めたり、自分だけが正しいかのような振る舞いをしていなかったか? を自問自答することも大切です。

人間が陥りがちな、自分だけが正しい(利己主義)という部分の検証です。

その結果を考えながら、自分の言動を適切に修正することができますね。

一方、他人から受けた侵害に関しては、いくつかの選択肢があります。

抗議をしたり、裁判で決着をつけるのも選択肢です。

また、「怒りを【主】に委ね沈黙」するという方法もあります。

後味の悪さをなくすだけでも、快適になりますから、後味が良くなれば、幸福感の味わいも大きく変化することでしょうね。