永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

人生のご馳走とは? ビクトル・ユーゴー

『幸福だけの幸福はパンばかりのようなものだ。食えはするがごちそうにはならない。むだなもの、無用なもの、よけいなもの、多すぎるもの、何の役にも立たないもの、それがわしは好きだ。 ビクトル・ユーゴー

レ・ミゼラブルの一節だそうです。

多くの人は、幸福というカタチを求めて生きています。自分の理想の幸福に巡り会えていると言う人は、どれ程いるでしょうね。

その様な気持ちからなのでしょうか? 「幸福すぎると恐い」と感情を吐露する人もいるほどです。「自分は幸福になってはいけない」というイメージが内面にすり込まれている可能性もありますね。

このフレーズからは、人生の年輪を感じるような、現実的なニュアンスが伝わって来ます。

「むだなもの、無用なもの、よけいなもの、多すぎるもの、何の役にも立たないもの、」さえも人生のご馳走にしてしまうのですからね。

でも、自分の人生をふり返ってみても、どう見ても要らないモノを衝動買いしたり、使わないものを捨てられなかったりなど、このフレーズに通じる経験があります。

モノゴトの区切りを引きにくい要因は、この辺りにもあるようにも感じます。

まずは、人生のご馳走として、味わってから、取捨選択を考えるゆとりを持つことの大切さを学んだ気がします。