永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

キリストによって生かされる 1コリント15:20-26

『しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。最後の敵として、死が滅ぼされます。(1コリント15:20-26新共同訳)』

人はどうして「死」を忌み嫌い、恐怖の対象とするのか?

「アダムによってすべての人が死ぬことになった」とあるように、自分の欲望のみで「善悪を知る樹の果実」を食べるという行動することにより、その結果、創造主である神との繋がりを拒否することになったからですね。これで、永遠の死(不幸…暗い火の池で苦しみ悶え続けること)が確定してしまったのです。

創造主である神は、その後すぐに、救済計画を明確に示されました(創世記3:15)。

しかし、それを期待して待つ側の人間にとっては、スゴく長く感じられる時間だったのです。

これを考えると、信仰を継続していくのは、容易いことではないと再認識させられます。今でこそ、印刷物やセルフエディケーションツールが整備され、インターネットのコミュニケーションツールも充実していますから、情報を得るには良い時代です。現代社会の課題は、情報過多による情報選別が大切であるということですね。

そのようなツールが何も無かった時代には、自然の中で、ごく稀に創造主である神の啓示があったようですが、それでも、人間の信仰は試され続けてきたのでしょうね。

一説によると人間の歴史は約6000年程度と言われます。これを書いているのがAD2020年ですから、アダムが創造されてから約4000年後にメシアが出現したというイメージですね。人間の寿命が100年だったとしても、長い期間ですよね。

メシアであるイエス・キリストは、十字架による死後、葬られ、三日目に復活されたので、「眠りについた人たち(信仰者)の初穂」となり、やがての時に復活させられ、イエス・キリストと共に永遠に生きることになるのですね。

その時に、はじめてイエス・キリストを王とする王国が来るのですね。