『しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。(ヨハネ14:19新共同訳)』
十字架による死、復活、昇天、携挙、再臨の流れを体型的に理解していないと、何のことだかわからないですね。
これを聞いていた当時の弟子たちも、本当のところは理解できていなかったでしょうね。
今の時代の信仰者は、一切、見ていない創造主である神を信じています。その理由の根拠は、自然界を通じての啓示や聖書を知っていくことによって得られる確信なのでしょうね。
当時の彼らは、十字架に架かられたイエス・キリストや復活後のイエス・キリストを見ています。それでも、信仰を貫けた人はどれほどいたでしょうか?
大切なのは、姿が見えるか否かではなく、生きた存在をいかに感じられるかにかかっているように考えています。
信仰のキモは、イエス・キリストが復活後、昇天して、今もなお生きていることを信じることにあるからです。
肉体的生命で生かされている人間は、与えられた寿命を生かされます。
信仰者は、それと合わせて、復活のイエス・キリストが保証された永遠の生命にも生きることができるのです。
これこそが「わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。」の本質なのです。
どのような状況の中でも、イエス・キリストと共に永遠の生命を共有し生きることができるのですね。