「幸福とは?」という問いは、至る所で提起されています。
三木清は「人生論ノート」の中で、「機嫌がよいこと」が、幸福が外に現れる筆頭であると挙げています。
幸福には、カタチがあるものではありませんから、それが、外に現れるという風には考えないものですが、妙に納得してしまう文章ですね。
「どうして、機嫌がよいのか」という部分の根っこに幸福があるからということですね。
また、「丁寧である」とか「親切である」という部分にも現れるとも挙げています。
これは、何か頼み事をしてもらう場合に、その人に依頼してよかったと思えるのか?別の人に頼めばよかったと後悔を感じるのかの差にも繋がるテーマですね。
本当に幸福を実感している人は、「機嫌がよく」「丁寧」で「親切」なのでしょうね。
機嫌良く振る舞っていればというよりも、幸福が機嫌良くさせるということですね。
自分の根っこの土の養分まで含めての話ですね。
改元の節目に、幸せのありがたみを感謝して、自分の幸福を実感していきたいです。