永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

完成しないディズニーランド ウォルト・ディズニー

『ディズニーランドは永遠に完成しない。この想像力が残っている限り、成長し続ける。 ウォルト・ディズニー

ウォルト・ディズニーの世界観は、ファンを魅了し続けています。

スペインの神の家族教会(サグラダ・ファミリア)のように、なかなか完成しないというのが、最大の魅力ポイントなのかも知れませんね。立体的な聖画の世界観は、多くの人を魅了し続けています。

ディズニーランドは、リピーターのコアな家族のようなファンに支えられているので、盤石の状態のように感じます。

作者の想像力が、枯渇しない限り、完成に至ることがないと言うのですね。

「夢の国」という設定は、浮世の生活を忘れられる別天地でしょう。そこに入れば、年齢も関係なく、童心に返って思う存分楽しめるというのがポイントです。

自分が好きなキャラクターが動いていて、一緒に居るという空間は、正に「夢の国」です。

最先端の技術を駆使して、3Dで楽しめるようにしたり、アトラクションが更新されたりするのも、また行きたいと言う気持ちを駆り立てている仕掛けでしょうね。

漫画家志望のディズニーは、漫画家になっても厳しい状況で、アニメーターへと転身しました。その後、兄と「アリスの不思議の国」シリーズの続編商品を販売する会社を設立しましたが、アニメーターの引き抜きや、紆余曲折がありました。倒産寸前で、再建をする局面で、カンザスフィルム時代に飼っていたマウス(ねずみ)に思い当たり、幾つかのラフスケッチを制作したというのは権利処理の問題をクリアするために後年の後付け設定だと言います。版権にトラブルは付き物です。でも、色々ありますね。これに当時、監督や演出に専念し始めていたウォルトから作画監督を委ねられたアイワークスが、ウォルトの原案に動かす事を念頭に置いたアレンジを加え、このようにして世に知られる「ミッキーマウス」は完成しました。後にディズニー社の従業員は「ミッキーの動きはアイワークスが、魂はウォルトが生み出した」と語っています。テーマパーク事業は1948年ごろから具体化させ、1953年9月にはカリフォルニア州アナハイムに広大な土地を確保したものの、資金のメドは付かず、1954年には「ディズニーランド」というTV番組をABCで放映し、ディズニー自らが出演してアトラクションやアニメ作品の紹介などを行った。この番組は54年間続く長寿番組になりました。

ディズニーランドは、1954年に着工し、1955年に正式にオープンしました。

そして、今なお、完成していないことになります。創業者のフレーズによれば…。

ウォルト・ディズニー(Walt Disney、1901年12月5日 - 1966年12月15日)は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴに生まれたアニメーター、プロデューサー、映画監督、脚本家、漫画家、声優、実業家、エンターテイナー。
ウォルト・ディズニーのサイン
世界的に有名なアニメーションキャラクター「ミッキーマウス」をはじめとするキャラクターの生みの親で、『ディズニーリゾート』の創立者であり、兄のロイ・O・ディズニーと共同で設立したウォルト・ディズニー・カンパニーは数々の倒産、失敗を繰り返すも、350億ドル以上の収入を持つ国際的な大企業に発展した。
本名はウォルター・イライアス・ディズニー(Walter Elias Disney)。一族はアイルランドからの移民であり、姓の「ディズニー」(Disney)は元々「d'Isigny」と綴られ、フランスのノルマンディー地方カルヴァドス県のイシニー=シュル=メール(フランス語版)から11世紀にイギリスやアイルランドに渡来したノルマン人の末裔であることに由来し、後に英語風に直され「ディズニー」となった。「イライアス」は父名。共和党を支持し右派として知られていた。

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コーヒー焙煎をして飲む良い加減

コーヒーの飲み方は、多種多様です。

「コーヒーが好き」と言う方で、インスタント派がかなり多数でしょうね。

製造元が飲みやすく工夫しているので、お湯を沸かせば飲めるという手軽さがあります。

最近、急増しているのはコンビニコーヒーです。コンビニで、挽きたてのレギュラーコーヒーが、お得に飲める時代です。外に出かけているときには、コンビニでトイレを借りたときなどに、ついついこれを買ってしまいます。ノーマルでも十分な味わいが楽しめますが、その倍の金額を張り込めば、プレミアムなモノも用意されています。

家でもレギュラーコーヒーが飲みたいと言う方には、ドリップコーヒーが手軽です。豊富な種類から、好みの味で決めるか、価格重視にするのかで、いろいろな選択ができますね。お湯を確保できれば、場所を選ばないのも良い所です。かなり価格帯の巾があります。

いつもの定番をという人には、焙煎済みの粉、でも、挽きたての香りは逃したくないと言う方には、焙煎済みの豆で楽しむという本格派の選択もあります。

もう一つ奥のこだわりは、コーヒーの生豆を購入し、自分で自家焙煎をするという選択肢も以前よりも身近になってきました。焙煎器具は、以前から焙烙(ほうろく)と言われる焙煎器で、多種多様なものがあります。安価な鍋でも可能なのですが、陶器製の焙煎器は遠赤効果もあり、豆のジンワリと中まで、熱を届けることができるように作られています。手煎り焙煎の場合、集中力と根気と思い切りが上手く噛み合うとナカナカの仕上がりを目指せます。

焙煎の安定性を考えると、電気ヒーター式や熱風式が良いのでしょうね。それ以上にこだわる場合は、ガス式の焙煎器具が望ましいと思います。

私は、日常は電気式の焙煎器とミルとドリップが一体になったカフェプロ(ダイニチ)を使用しています。

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それと合わせて、陶器製のゼロ可否(ゼロコーヒー)を使用しています。温度センサーの影響を受けないカセットコンロが望ましいと考えて、天気のよい日に外で焙煎をしています。キャンプ気分です。

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ただし、15分から20分は、全集中で良い加減を探ります。これも、精神統一の修行みたいだと考えています。

人によっては、昔ながらの「ほうろく(焙烙)」で、玄米や大豆、お茶、胡麻などを焙煎しているようです。

戦時には、コーヒー生豆が入手困難で、代用コーヒーとして、大豆などを焙煎して飲んだと先輩に聞いたことがあります。炭化する前の段階で好みの風味が味わえるので、コーヒーに限らず、焙煎して飲むのが良いのかも知れません。

コーヒーはエチオピアの原生種が元祖のようですが、いろいろな歴史に左右されながら、今日に至っているわけですが、嗜好品であり、贅沢な話です。

コーヒーの世界を覗いてみて、実に奥深く、それぞれの飲み方で、根強い人気があるものだと感心しています。

コーヒーの相場や生産量、そして、為替の動向などの影響で、高騰している部分もありますが、コーヒー愛好者のためには、できるだけお得に味わえる環境が望ましいと考えています。

好みとしては、「煎りたて」よりも、一晩寝かした方が、風味が増すように感じています。

挽きたてと淹れ立ては、外せない要素ですね。 また、冷めてもスッキリ飲めるコーヒーが最高です。

叱責を受け入れる器量 箴言1:23

『23 わたしの叱責に立ち返れ。おまえたちにわたしの霊を注ぎ、わたしのことばを知らせよう。 箴言1:23 新改訳2017』

最近、叱られたのはいつでしょうか?

日常的に叱られ続けている人生も、ある意味では幸せなのかも知れませんね。

「誰も、自分がしていることを止めてくれなかった」と後悔する犯罪者の告白を耳にすることがあります。

近年の養育環境を考えれば、放任されて成長している人の数も増えているのでしょうか?

一方、過保護過干渉の影響も減ってはいない状況なのかも知れませんね。

「程よい加減」になると良いですね。

この箴言を記させたのも、創造主である神【主】です。

【主】は、最初のアダムを「土の塵」で造り、魂を授け、いのちの息を吹き入れました。

人間は、肉体的に生きているのではなく、霊と肉体を合わせて生かされているのです。

そのバランスが崩れると、何らかの影響が出てきます。それは、身動きがとれなくなったり、何かで空虚さを埋めようと衝動的になったりします。

アダムとエバが、エデンの園で犯した失敗は、人間のDNAを傷つけてしまいました。それは「罪」が侵入したからです。これをもれなく、全人類が引き継いでいるのです。これの影響が非常に大きいです。それによって、善を求めようとしても、悪に留めようというパワーが働いてしまうからです。

創造主である神【主】は、まず「愛」を示し、「義」を果たされます。その「愛」の中にも、「義」が立てられているのです。

不思議なコトに、圧倒的多数の人は、「愛」よりも「義による裁き」に意識を奪われて、【主】を否定し、非難してしまうのです。

これは、受け継いだ「罪」のなせるワザなのです。

この箴言は、まず「愛」に注目するようにとの導きです。

その「叱責」が入口とは、幾分かの勇気が必要ですが、その入口に到達できれば、一人一人の霊にまで、【主】のケアが届くというのですから、これを有効活用したいですね。

忙しい中でも、少し、とどまって、自分自身の思考の整理をしてみると、エネルギーの有効活用にも繋がりますから、是非オススメします。

大切なのは、「覚悟」と祝福を受け入れる「器量」なのですね。

失敗続きの人生をおくりながらも、【主】に用いられていた「ダビデ王」ですが、その理由は、素直さと謙虚さにありました。

人生に失敗は付き物ですから、クヨクヨせずに、再チャレンジができるというお手本ですね。

人間が生きる二つの方法 ヴィクトル・ユーゴー

『人は二つの方法によって生きる。つまり、社会に従うか、自然に従うかである。 ヴィクトル・ユーゴー

ナポレオン体制に抗議し続けたヴィクトル・ユーゴーのフレーズです。

史実と事実の狭間には、多くのドラマがあるようです。

ヴィクトル・ユーゴーが、ガーンジー島での亡命期に著作した『レ・ミゼラブル(ああ無情)』が大ヒットして、莫大な収入を得ました。

また、海外から「?」と言う手紙を出版社に出し、「!」と言う返信をもらっています。これは、ギネス認定されている世界最短のやり取りです。

そのやり取りは、「売れ行きはどうか?」という問いに対して「絶好調です!」という内容だったようです。さすが、作家と出版社、通じ合うモノがあるのですね。

そのようなユニークな一面もあるヴィクトル・ユーゴーは、「社会」か「自然」かを並べて提起しています。

人生は手探りですが、自分の生き方を選択するときに、この二つの要素は、目の前に突きつけられるものです。しかし、人間が置かれた所は、その狭間であり、その間を行き来しているだけなのかも知れませんね。

絶対的な正解がないのであれば、その場その場での最良の選択をするほかなさそうです。

社会を選択するときには、自分を失わないように注意したいです。社会の渦に巻き込まれて、動かされるだけの歯車にはならない方が良いように感じますし、また、混乱だけ巻き起こすような振る舞いも避けたいです。

また、自然を選択するときは、いのちを失わないように注意したいです。これは、サバイバルですから、自然の法則に従って、自分をわきまえて生きる必要がありますね。

環境問題も意識しながら、自然を満喫できるチャレンジ精神と心のゆとりを持ちたいと考えています。

どちらを選択するにも、課題は山積しているので、メリットとデメリットを合わせて、より良い選択に結ぶつけたいですね。

 

ヴィクトル=マリー・ユーゴー(仏: Victor-Marie Hugo[3]、1802年2月26日 - 1885年5月22日)は、フランス・ロマン主義の詩人、小説家。七月王政時代からフランス第二共和政時代の政治家。『レ・ミゼラブル』の著者として著名。
1959年から1965年まで発行されていた5フラン紙幣に肖像画が採用されていた。
日本での「Hugo」の表記は、「ユーゴー」と「ユゴー」が併用されているが、ここでは「ユーゴー」を採用する。

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自然環境下の生き方を思い出す 牛も人間も

地球温暖化や気候変動について、違和感を抱いている人が多いのではないでしょうか?

ここ数年、今まであり得なかったことが起きていて、私は大いに戸惑いを覚えています。

百年に一度、千年に一度などという現象が、頻発していたからです。その被害に遭われた方には、本当にお見舞い申し上げます。

2022年にも、9月や11月に大地震があるのではないかという予告が流布されていました。そこまでの地震はなかったので、ホッとしています。

しかし、ゆれる大地の上で、生活している人間には、いつ何が起きてもおかしくないという危機感を強くしています。もし起きてしまったときの対処を考えておきたいと思い、最低限の水や食料は用意してあります。

でも、それよりも大切なことがあるのではないかと考えるようになりました。

それは、今、ドップリ浸っている当たり前の生活からの転換です。電気やエネルギーの転換は難しそうですが、環境がゆるせば、薪ストーブなど、発電や送電のインフラが途絶えてもサバイバルできそうな態勢が理想かもしれません。

それよりも、身近な食に関することです。日本では、食品添加物などの化学物質や農薬などの問題が数多くあると指摘されています。まるで、日本が食品添加物や農薬、化学物質の在庫処分場とされているような印象を持つ人さえいます。

それらのいくつか組み合わさると「発がん」に至ると指摘している人もいます。因果関係はベールに包まれていますが、日本人は、2人に一人が「がん」になると言われているのには、違和感があります。

やはり、食生活の見直しは、最重要課題なのだと感じています。

有機栽培や無農薬と言っても、高価で手が出せない物も数多くあります。自分で栽培するのが一番ですが、自家用に育てられているような、身の回りの産直を活用したいですね。

良いお米と味噌、梅干しなどで、粗食をベースにした方が、健康寿命に貢献できそうです。

しかし、あまり、神経質になりすぎないというマインドも大切なようです。神経質になりすぎると、ストレスが過多になりますから、それが、身体を蝕むことにつながることもありますからね。

「いろいろ制限をして、気を遣ってどれくらい長生きできるのかなあ? それよりも、おいしいモノを食べられるうちに食べたい!!」

そのような意見も聞きます。それも、一つの考え方です。

地球温暖化は、「牛のゲップが原因だ」という、牛には迷惑千万な話が流布されています。

これに、酪農家も大困惑しているようです。北海道大学で「ウシのげっぷに含まれるメタンの削減」に取り組んでいる小林康男氏が監修している「ウシのげっぷを退治しろ 大谷智道著」には、人間が食べたい理想の牛肉のために、本来の「草」だけではなく、輸入された穀物由来の濃厚飼料が与えられていると記されています。

牛肉1kgを得るために、穀物20kgを必要としている状態は、口の中でとろける霜降り肉を食べたい人間の都合と言えるとも記されています。これ一つとっても、牛(ウシ)には、甚だ迷惑な話なのですね。

人間もウシも、食べ物を見直す時期でしょうか?

「口には甘く腹には苦い巻物」ヨハネの黙示録10:1-11

『1 また私は、もう一人の強い御使いが、雲に包まれて天から下って来るのを見た。その頭上には虹があり、その顔は太陽のよう、その足は火の柱のようで、
2 手には開かれた小さな巻物を持っていた。御使いは右足を海の上、左足を地の上に置いて、
3 獅子が吼えるように大声で叫んだ。彼が叫んだとき、七つの雷がそれぞれの声を発した。
4 七つの雷が語ったとき、私は書き留めようとした。すると、天からの声がこう言うのを聞いた。「七つの雷が語ったことは封じておけ。それを書き記すな。」
5 それから、海の上と地の上に立っているのを私が見たあの御使いは、右手を天に上げ、
6 天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを造って、世々限りなく生きておられる方にかけて誓った。「もはや時は残されておらず、
7 第七の御使いが吹こうとしているラッパの音が響くその日に、神の奥義は、神がご自分のしもべである預言者たちに告げたとおりに実現する。」
8 それから、前に天から聞こえた声が、再び私に語りかけた。「行って、海の上と地の上に立っている御使いの手にある、開かれた巻物を受け取りなさい。」
9 私はその御使いのところに行き、「私にその小さな巻物を下さい」と言った。すると彼は言った。「それを取って食べてしまいなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。」
10 そこで、私はその小さな巻物を御使いの手から受け取って食べた。口には蜜のように甘かったが、それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。
11 すると私はこう告げられた。「あなたはもう一度、多くの民族、国民、言語、王たちについて預言しなければならない。」 ヨハネの黙示録10:1-11 新改訳2017』

「もう一人の強い御使い」は、「アロス(同質である別の清い天使)」を指しています。

大患難期の中間期に登場します。悪魔や悪霊と戦うミカエルだと考えるのが妥当でしょう。【主】は、ご自身の計画を実行するために偉大な権威と任務を委ねられた天使を遣わされるのです。

ヨハネは、「頭上に虹、顔は太陽のよう、足は火の柱のよう」という絵画的な表現で描写しています。

「手には開かれた小さな巻物(黙5章とは別物)」があり、右足は海の上、左足を地の上においていて、地の支配権を与えられています。獅子は威厳がある存在で、その叫び声が、7つの雷を呼ぶことなりました。

ヨハネは理解して、書き留めようとしましたが、天からの声で記さないように言われたので、記されませんでした。この部分は、その時にならないとわかりません。

続いて、世の終わりの宣言がなされます。

創造主である神【主】を指して、永遠に生きている存在、すべてを創造された【主】、すべてを統治される主権者である。すべての言葉は、すべて真理です。

その時代の聖徒たちは、試練を通過しながらも、主の平安を味わうことができるのです。これは、試練の真っ只中にある聖徒たちへの励ましでもあります。まもなく、神の時が来るという良い知らせです。

第7のラッパ(7つの鉢)から、大患難期の後半がはじまります。そこで、神の奥義(旧約の預言者の預言)がすべて成就されるのです。そして、「千年王国」へと続いていくのです。

前に天から聞いた声は、黙示録4:1で語られた【主】の声です。

ヨハネは、小さな巻物を受け取り、食べるように促されました。食べると、「口には蜜のように甘かったが、それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。」と、天使が告げたようになったが、ヨハネはそれ以上の説明をしませんでした。天使は「あなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。」と言い、ヨハネは「口には蜜のように甘かったが、それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。」と記されているのは、キアズム(ヘブル的に韻を踏んでいる)と言われている文学的表現です。

その差は、「永遠の幸福(甘い)」と「永遠の不幸(苦い)」ほどの違いがあります。

動画 スパーリングのお手本 ネコちゃん


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「猫パンチ」をまともに喰らうと、人間でもダメージを受けることがあります。

大人しい雰囲気のネコちゃんも、結構、激しい一面をお持ちです。

それが、いつ炸裂するか? また、隠している爪にもご用心ですね。

画面の左側がトム(白黒のドメスティック・ショートヘアーのオス)、そして右側がミミ(白とジンジャーのドメスティック・ショートヘアーのオス)だそうです。

オス同士、次なる戦いに備えて、スパーリングをしているように見えます。

じゃれ合いなのか? 争いなのか? よくわかりませんが、寸止めでネコパンチを繰り出している様子を見ると、スパーリングなのでしょうね。

庭の見晴らしが良い窓辺で、日差しが降り注げば、うたた寝が最高なポジションですが、時には、このような光景が展開されているのでしょう。

運動と考えても、コミュニケーションと考えても、「いい加減」を心がけているように感じます。

普段からの良好な関係性が垣間見えています。

この猫パンチの犠牲になるのは、どなた?

抜かない刀のように、それを行使しなくても良い平和を願います。