永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

外出、家出、脱走の繰り返し 居場所を求めて

居心地が良くないとの違和感を持つ人が増えている様に感じます。

特に、感染症拡大防止の非常事態宣言が出される様になり、引きこもりに近い状態を窮屈に感じている人も増加していることでしょうね。

自分の自宅なのに居心地が悪いと言うのは、非常に残念です。

あるリゾート会社の代表は「今の時代は、自宅でエアコンをつければ最高のリゾートになる」と言って、危機感を表しました。

以前は、ウサギ小屋と評されたことがあった日本の住宅事情は、近年著しく改善されました。

その時代には、たまには贅沢に快適な体験をしようと、こぞってリゾートに出かけました。

出かけられなかった人たちもいますが、リゾートがあこがれの時代でした。

また、「いつかはクラウン」というキャッチフレーズもありました。

今の時代は、欧州の丸が付いているエンブレムの車を憧れにする人も多くなりましたね。

家であれ、車であれ、豪華を求めて手に入れた結果が満足だった人もいると思います。

でも、手に入れても、思ったほどでは無かったという人も、少なからず存在するようです。

それは、完璧なモノなどないコトの証明でもあります。

そうなると「こんなはずではなかった」という気持ちから、自分にとっての「快適探し」が始まります。

その方向性であれば、キリがないでしょうね。

その理由をシンプルに言うと、「どこかに」「○○がある」という発想だからです。

そのマインドが、外出や、時には家出?または、脱走?を繰り返す要因ではないでしょうか?

私が、大切だと感じているのは、「今ココで、より快適になるためには?」と考えるコトです。

そこが、自分が誰にも文句を言われずに居続けても良い場所ならば、どの要素が自分を快適から遠ざけているのかを腰を据えて観察してみるのがオススメです。

案外、自分の好みとはかけ離れたインテリアであったり、圧迫感がある家具配置だったり、要因を発見することができると思います。

せめて、自分の快適な居場所を確保して、有意義な時を過ごしたいですよね。

外見と実体のギャップ  箴言13:7

『富んでいるふりをして、何も持たない者がいる。貧しいふりをして、多くの財産を持つ者がいる。(箴言13:7新改訳2017)』

周囲を見回してみてください。

自分自身を鏡で見てみるのも良いでしょうね。

どれだけ借金をして散財しても、個人の自由です。それを否定するつもりはありません。

お金を使うことは、どのような流れでも、誰かを潤す可能性がありますから、良い流れになることを期待します。

でも、バランスを考える必要はありますね。

たらいに汲んだ水を手前に掻き寄せるのか? あるいは、送り出す様に掻き出すのか? という問いかけがあります。

自分に掻き寄せると二倍向こう側に水流ができてしまいますが、送り出すように掻き出すと二倍自分に水流が返ってくるという教訓もあります。

適正化するには、掻く方向と、もう一つはサイズを考える必要があります。

また、使うたらいの大きさが、自分や目標とするサイズになっていると良いのですね。

これには、等身大を意識する大切さを感じます。

今の時代は、リースやレンタルが主流ですから、そのようなサービスを使うと、セレブの装いもできてしまいます。

自分がそれに会っていれば、不自然なギャップはないのでしょうけれど、大抵の場合、どこかに違和感を感じてしまうコトでしょう。

昔から、様々なトラブルを想定して、本当の財産持ちは、派手な身なりをあえて避けていたのかも知れませんね。

もう一つの価値観から考えると、「永遠の幸福マインドで今ココを生きている」実感こそ、永遠の平安を得て富んでいる状態です。

創造主である神は、何も無い人間に、永遠の生命を備えて下さっているのですから、それこそ、本当の富なのですね。

上達への近道は? 千葉周作

『上達に至るに二道あり、理より入るものあり、業より入るものあり、何れより入るも善しといえども、理より入るものは上達早し、業より入るものは上達遅し。 千葉周作

以前に取り上げた「ガッツはレッドオーシャン」を適確に説明している様なフレーズだと思います。

興味があるテーマに対する温度差は大きいようですね。

また、上達していく速度にも差があります。

理論から納得して上達していくタイプと、とにかく体で覚えるタイプに大別できます。

千葉周作氏によると理論から入る方が、上達が早いとのことです。

技の千葉(北辰一刀流)として、地位を確立した剣の師範として、多くの門下生を見てきた経験からの評価なのでしょうね。

剣の道は、何よりも冷静さ、そして、大胆さ、ここぞという時の勇気が必要です。

真剣勝負ともなれば、いのちをかけた勝負となりますからなおさらですね。

人一倍、熱心に稽古に取り組むことは当たり前のことで、それと合わせて理論も基礎に据える必要があったのですね。

その上で、場数を踏むことが上達への近道だったのでしょう。

今のデジタル機器でも、ある程度は直感操作できる様に作られていますが、より深い操作方法を知るためには説明書やインターネットの検索を通じて理論的に理解して対策をたてていくことが必要です。

「少し動作がおかしくなったので、叩いてみる」というのは、日本の昭和のトランジスタラジオには有効な部分もあったかも知れませんが、デジタル機器には通用しないようです。

また、人とのコミュニケーションでも、ボディコンタクトは最低限にしなければならない時代の流れもありますので、お互いに心地よい関係性を整えて行く必要がありますね。

それらも含めて、上達していきたいモノです。

人生はコインの裏表、そして、別の一面も

人生には、様々な味わい方があります。

人間は、せっかちですぐに白黒を付けたがりますが、現実はそのようには行きませんね。

よくコインの裏表という例えを用いますが、それだけではないように感じます。

コインは丸いものという固定観念がありますが、もう一つの形状も味わいたいものです。

それは、薄い側面の長方形です。自動販売機のコイン投入口の形状ですね。

また、人生は白でも黒でもないグレーなイメージをしています。

白は清潔、黒は邪悪、グレーはどちらでもないという色の分け方もあります。

ここでは、そうではなくて、どのような状態でも、白にでも黒にでも向かえるという考え方です。

また、黒だと感じている中にも、様々な色が重なっていたりします。

色のRGBを重ねると黒になります。

光のRGBを重ねると白になります。

不思議な取り合わせですが、目に見えるところだけでは、その本質が味わえないというお話です。

あえて、最大限のリスクを取って、危険な冒険をするのはオススメしませんが、客観的な観察をしてみると今までとは違った一面を垣間見ることができるのだということです。

様々な視点の一つが、コインの表であり、裏であり、別角度の長方形であったりするのですね。

いろいろな角度から観察すると、ポジティブに感じられる部分もあるはずです。

また、ネガティブに感じられる要素にも、隠れているポジティブがあるかも知れませんから、何かを見つけると、楽しく感じられることでしょう。

拝みたくなる人間への誘惑 出エジプト20:22-23

『◇契約の書 ◆(1)祭壇について 主はモーセに言われた。イスラエルの人々にこう言いなさい。あなたたちは、わたしが天からあなたたちと語るのを見た。あなたたちはわたしについて、何も造ってはならない。銀の神々も金の神々も造ってはならない。(出エジプト20:22-23新共同訳)』

偶像に関する命令が記されています。

第二戎がここでもリピートされています。

人間は、自分の欲望を叶えるためには、実に積極的に行動します。

自分で祈ることをしないで、誰かに依存して、ご利益を求める形式に則ってご祈祷をしてもらい、タダでは効き目がないと「有料」でしてもらう人が多くいます。効き目の程は?

自分の願望を叶えてくれる相手こそ最高のパートナーだと信じ切って、最後には騙されるケースが繰り返されています。

ここで、銀の神々、金の神々を造ってはならないという命令が記されていますが、この時には、ふもとでイスラエルの民は、金の子牛を造っていたのです。

創造主である神はすべてご存知でした。

イスラエルの民もバビロン捕囚までは、偶像崇拝が習慣化していました。

「箔をつける」と言われますが、その造形に有り難みを増すために、きらびやかに装飾を施すのですね。

カナン地方では、特に、偶像崇拝の習慣が蔓延っていました。

それは、性的な淫乱を伴うもので、それに影響を受けなくすることが究極の目的でしたが、その道は困難を極めていました。

「天から話した」とあるのは、創造主である神が、超越した存在であることを示すために記されました。

「私以外は拝んではいけない」ということで、心の狭い神と評価する人もいます。

本質は、その行為が「罪」をもたらすので、創造主である神との交わりができなくなることが、最大の問題であることに注目する必要があります。

その問題を取り除くために、唯一無二の道が備えられていたのですね。

動画 これがマジックというものか!


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ベリーショートな動画ですから、瞬き厳禁ですよ(笑)

マジックは、「タネも仕掛けもありません」と言いながらショーを繰り広げますが、その実、タネも仕掛けもあります。

でも、わかりやすいものでも、人を楽しませることができるのが実に不思議です。

「くだらない」と反応しながら、「クスッ」と笑いを漏らしていたりします。

シンプルなものほど、パフォーマンスの方法によっては、受けやすいのかも知れませんね。

そうなると、タネや仕掛けよりも、見せ方ということになります。

この動画は、人間がネコちゃんの耳をかりた瞬間芸です。

人間は、耳がかゆいと綿棒や耳かきを駆使しますが、ネコちゃんは普段から、耳をピクピクさせていますね。

そこに、輪ゴムの投入すると、瞬時に視界から消えてしまうのです。

偶然の発見かも知れませんが、この撮影は、やや難易度が高いようにも感じます。

こんな遊びできるとイイなあ。

礼法は防波堤 貝原益軒

『人の礼法あるは水の堤防あるが如し。水に堤防あれば氾濫の害なく、人に礼法あれば悪事生ぜず。 貝原益軒

人間は、治水と利水ができるか否かで大きな差が生まれます。

水に覆われると、人間はひとたまりもありません。

人間の歴史で、ノアが方舟つくることになったときも、命をつなげた人間は方舟にのることを選択したノアと妻、そして、三人の息子夫婦の8人でした。

その他の人は、自らの選択で、水に呑まれたのです。

今日でも、どのように水から身を守るかを考えて、様々な対策をします。

家を新築する時には、土地を嵩上げしたりして、浸水しないように対策を練ります。

また、治水という点では、川が氾濫ように堤防の嵩上げをすることも大切です。

貝原益軒のこのフレースは、人間関係にも、人を呑んだり、人に呑まれたりしないように、このような堤防が必要だと指摘しています。

それは、礼法であるとは、「親しき仲にも礼儀あり」と言われるように、お互いに適正で対等なお付き合いのためには、非常に大切な要素なのです。

別の言葉でいうと、「節度」なのかも知れませんね。

自分の分をわきまえて、相手の立場を思いやる、そのような配慮こそ、人と人を守るための防波堤になっているようです。

人間関係は、非常に複雑で、希薄でも寂しさがあります。

でも、濃厚すぎても、良い関わりばかりではなくなることもあります。

悪事の発端は、相手を利用してでも、自分だけの利益を得たいという欲望から出てきます。

これらは、礼法が適正であれば、防げるということなのですね。