永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

拝みたくなる人間への誘惑 出エジプト20:22-23

『◇契約の書 ◆(1)祭壇について 主はモーセに言われた。イスラエルの人々にこう言いなさい。あなたたちは、わたしが天からあなたたちと語るのを見た。あなたたちはわたしについて、何も造ってはならない。銀の神々も金の神々も造ってはならない。(出エジプト20:22-23新共同訳)』

偶像に関する命令が記されています。

第二戎がここでもリピートされています。

人間は、自分の欲望を叶えるためには、実に積極的に行動します。

自分で祈ることをしないで、誰かに依存して、ご利益を求める形式に則ってご祈祷をしてもらい、タダでは効き目がないと「有料」でしてもらう人が多くいます。効き目の程は?

自分の願望を叶えてくれる相手こそ最高のパートナーだと信じ切って、最後には騙されるケースが繰り返されています。

ここで、銀の神々、金の神々を造ってはならないという命令が記されていますが、この時には、ふもとでイスラエルの民は、金の子牛を造っていたのです。

創造主である神はすべてご存知でした。

イスラエルの民もバビロン捕囚までは、偶像崇拝が習慣化していました。

「箔をつける」と言われますが、その造形に有り難みを増すために、きらびやかに装飾を施すのですね。

カナン地方では、特に、偶像崇拝の習慣が蔓延っていました。

それは、性的な淫乱を伴うもので、それに影響を受けなくすることが究極の目的でしたが、その道は困難を極めていました。

「天から話した」とあるのは、創造主である神が、超越した存在であることを示すために記されました。

「私以外は拝んではいけない」ということで、心の狭い神と評価する人もいます。

本質は、その行為が「罪」をもたらすので、創造主である神との交わりができなくなることが、最大の問題であることに注目する必要があります。

その問題を取り除くために、唯一無二の道が備えられていたのですね。