『◇契約の書 ◆(1)祭壇について 主はモーセに言われた。イスラエルの人々にこう言いなさい。あなたたちは、わたしが天からあなたたちと語るのを見た。あなたたちはわたしについて、何も造ってはならない。銀の神々も金の神々も造ってはならない。(出エジプト20:22-23新共同訳)』
偶像に関する命令が記されています。
第二戎がここでもリピートされています。
人間は、自分の欲望を叶えるためには、実に積極的に行動します。
自分で祈ることをしないで、誰かに依存して、ご利益を求める形式に則ってご祈祷をしてもらい、タダでは効き目がないと「有料」でしてもらう人が多くいます。効き目の程は?
自分の願望を叶えてくれる相手こそ最高のパートナーだと信じ切って、最後には騙されるケースが繰り返されています。
ここで、銀の神々、金の神々を造ってはならないという命令が記されていますが、この時には、ふもとでイスラエルの民は、金の子牛を造っていたのです。
創造主である神はすべてご存知でした。
イスラエルの民もバビロン捕囚までは、偶像崇拝が習慣化していました。
「箔をつける」と言われますが、その造形に有り難みを増すために、きらびやかに装飾を施すのですね。
カナン地方では、特に、偶像崇拝の習慣が蔓延っていました。
それは、性的な淫乱を伴うもので、それに影響を受けなくすることが究極の目的でしたが、その道は困難を極めていました。
「天から話した」とあるのは、創造主である神が、超越した存在であることを示すために記されました。
「私以外は拝んではいけない」ということで、心の狭い神と評価する人もいます。
本質は、その行為が「罪」をもたらすので、創造主である神との交わりができなくなることが、最大の問題であることに注目する必要があります。
その問題を取り除くために、唯一無二の道が備えられていたのですね。