永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

光 水 地の順序でカオスから秩序が創造された(第一日目から第三日目)

「神、光あれと言いたまいたれば光ありき(創世記1:3-5)」


「神、言いたまいけるは、水の中に大空ありて、水と水を分かつべし(創世記1:6-8)」

「神、言いたまいけるは、天の下の水は一處に集まりて乾ける土顕わるべしと、即ち斯くなりぬ。(創世記1:9-13)」

 

光 そして、水の分離、さらに土と水の分離により乾いた地が造られました。

さらに、乾いた地には、植物が創造され、集められた下の水は「海」と呼ばれました。

これらは、カオス(混沌)状態であった所から、新たに創造される生き物のための環境を整えられたのです。

この時点では、まだ、天体も動物もないわけですね。

これで、器の完成です。

ご興味がある方は、下記の音声をお聞きください。

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人間は神から愛されるため、そして、神の栄光をあらわすために創造された

私は生かされている。

 

これを受け入れることができると視点がガラリと変わります。

創造主に造られた人間の目的は、神から与えられる。人間は考えられる生き物 ですが、自分が生きる目的は自分で創りだすのではないのです。

人間は、神から愛されるため、そして、神の栄光をあらわすために創造され、やがて、キリストの十字架によって解放されたのです。

早稲田大学 東後勝明教授の講演より
賜物は一人ひとり違うのです。
瓦は磨いても鏡にはならない。 人間も一人ひとり違うのです。 しかし、瓦は瓦でないといけないところがある。
そして、あなたにはあなたでなければならない場所がある。 

 

これを受け入れることができると、自己嫌悪から自己受容への変化することができる。

「キリストの十字架は、小切手の裏書の保証だ。」by東後勝明

「それ十字架の言は亡ぶる者には愚かなれど、救わるる我らには神の能力なり。…この故に神は宣教の愚をもて、信じるものを救うを善しとし給えり。(コリントⅠ1:18,21)」

 

ここは俺が払う いや、私が???

youtu.be


お店の会計の時に、こんな光景、ありますね。

いつも払うの人が決まっている場合もありますが、その場合でも財布を出したりして払う素振りはしたほうがいいとか、割り勘といっても会計の時に行方不明になる人もいたりして、負担する側は涙目の時もあるでしょうけど、いろいろ面白いものです。

このケースは、男性が払おうとしますが、女性がお金を出してかわりに店員に渡します。
その次が、重要です。

その女性は、男性にお金を渡さないのです。

なんと、自分の財布にそのお金をしまったのでした。

結局のところ、男性が会計をしたのですね。

何か、マジックを見ているような錯覚にさえなってしまいますが、何度見てもクスッと笑ってしまう動画です。

怒るよりも、健康のために笑いましょう、微笑みましょう。

勧善懲悪はわかりやすい、今の世の中にも水戸黄門待望論が、、

ヤクザから牧師になりました。
薬物中毒から抜け出せました。
すばらしいです。
ヒールからベビーフェイスへの転換は非常にわかりやすい。

昔、自動車学校で出会ったおっさんは、「一週間もあればいろいろな悪いことを経験できる」などとニヤけてささやいていました。
もちろん、ついていきませんでしたよ。

普通の状態から、非行?に走るのはショートカットが可能ということでしょうか?逆に戻ろうとしても、なかなか状況も自分の心も戻せない泥沼が待っているのでしょうね。

一方、理不尽さを感じている、ずっと真面目に生きてきた人たちもいるのですね。

自分は、悪いことをしないで生きてきたつもりなのに、何か報われない感じがする。
「さんざん、悪いことをしてきた人たちのほうが、得しているのではないか?」
と、感じる人たちもいるのです。

 

「それぞれの人生があるのだ。」と受け入れるほかないようですね。

 

もう一つは、アダムから受け継いだ性質が、自分の本意ではないけれども、メシアであるイエス・キリストを十字架につけることになったという現実です。

 

「どうすることもできない負の遺産(罪)の小切手に保証の裏書のサインを命をかけてメシアであるイエス・キリストがしてくださったのだ。」

と感謝して受け入れると自分を責めずにいられるようになるのですね。

 

肉体の世界にいる限り、何らかの形で、「理不尽」を味わい続けることにはなるでしょうけどね。

 「汝らの為し得るかぎりつとめて凡ての人と相和らげ。愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒りに任せまつれ…悪に勝たるることなく、善をもて悪に勝て。(ロマ12:18-21)」

「…キリストの血により近づくことを得たり。彼は我らの平和にして己が肉により、様々のいましめの規より成る律法を廃して二つのものを一つとなし、怨みなる隔ての中垣を毀ち給えり。これは二つのものを一つの体となして神と和がしめん為なり。(エペソ2:13-16)」

 

光の源は、シャカイナグローリー(光あれ…1日目)

「神、光あれと言いたまいければ光ありき…光と暗を分かち…(創世記1:3,4)」

ここの光は、「創造主である神の栄光の輝き」のことを指しているようです。

これを、ヘブル語では、「シャカイナグローリー」といいます。

なぜならば、今日の私達が光源としている太陽は、この時点では、まだ、創造されていないからですね。

この時に、光と暗黒が分けられたのですね。

光の源である神には

「回転の影もない(ヤコブ1:17)」

のですね。

塩水で覆われたカオス(天地創造の前)

サタンが天使だった頃、大きな宝石に彩られた美の極みのエデンがあったそうです。

しかし、ルシファが神よりも高い位を得ようとして、神におとされました。

そして、サタンになったのです。

その時に、同調した天使も多くあり、サタンの配下として活動をしているようです。

かつて美の極みだったエデンは破壊され、塩水で覆われていたのです。

「地は定形なくむなしくして黒暗、淵の面にあり、神の霊、水の面を覆いたりき(創世記1:2)」

塩漬けにされるのは細菌から守るために用いられますが、この時に清められていたのかも知れませんね。 

光がない状態で、混沌(カオス)と呼ばれるにふさわしい状態だったのですね。

「地は茫漠と何もない状態となった。」と訳すのが原文に近いのではないかとも言われますね。

現代の地球もカオスと呼ぶしかないような状況が多くあります。

これらも、次につながるサインなのでしょうか?

ご興味ありの方は下記の音声をお聞きください。

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カオスの前に別のエデンがあった

「人間が創造される前に、宝石に彩られたエデンがあった」との伝承があるそうです。

同じエデンと呼ばれるので混乱してしまうのです。

しかし、そのエデンとは、宝石に彩られた美の極みともいうべき、形容しがたい輝きに満ちている所だったようです。現代でも、そのかけらが、地球のあちこちに埋蔵されていて、それらを掘っては、魅力的に加工し、魅力的に宣伝するので、高価なものとして流通しているのですね。

元をたどれば、今の地球が創造された時に、原料を再利用したとすれば、合点がいきますね。

考古学の年代測定でも、何万年前とか判定されるのも、素材そのものは、かなり昔のモノなのかも知れませんからね。

もう一つは、宝石のかけら?がどうして魅力的に映るのかという点ですね。それは、美の極みの名残なのかも知れません。

今の天地が創造された時に、アダムは、地上の管理人に任命されましたが、アダムとエバがエデンの園を追われる罪を犯したので、サタンに戻ってしまったのです。ですから、「空中の権を執る宰(エペソ2:2)」として、この世界の終わりまで、活躍し続けるのですね。

やがて、任期の終わりが来ます。

一時休止期間があり「メシア的王国」がはじまるのですね。

そして、任期の終わりが来て「新天新地」が始まるのですね。