『28:21 人を偏り見るのは良くない。人は一切れのパンで背く。 箴言28:21新改訳2017』
人間は、見たものをありのまま評価するという事は苦手なようです。
自分のフィルターを通すと、自分自身の認知の歪みが出てくるのです。
これは、個人差があっても、少なからず残る要素だと考えています。
ポジショントークと言われるように、人間は、自分が居る位置を語る性質があるのです。
しかし、工夫の余地はあり、自己の評価と、客観的評価を持つと幾分バランスをとることに貢献ができそうです。
人間の感情転移は、もっと厄介な一面があります。
これは、自分自身が気になっている要素を他人の振る舞いで見つけると、鬼の首を取ったように、批判を強めたりするのです。
SNSが全盛の時代には、「炎上」するという背景に起きている現象です。
その多くは、事実ではない偏見が巻き起こすものがあるのではないでしょうか?
人生の中でのつまずきは、些細に見えることからはじまります。
それは、「一切れのパン」です。
空腹な人に、一切れのパンを提供すれば、買収成立になるケースもあったようです。
刑事ドラマの取り調べシーンで、カツ丼を食べさせて自白させるというくだりがありますが、あれは、ドラマの世界観だと元刑事は語ります。利益供与になるので、自白が無意味になるからと言う事のようです。
でも、巷では、パン一つを万引き(窃盗罪)するという事件が多発しています。その中には、元服役囚が、また、塀の中に戻りたいと願って起こしたという嘆かわしいケースもありました。今は、警察に通報されて、そのお店は出禁になりますが、なるべく刑務所には収監せずに、社会復帰を目指すという傾向が強くなって来たようです。
人間は、誰でも、目の前の「一切れのパン」に心揺さぶられる存在のようです。
自分だけは大丈夫という過信も、偏見の一片かも知れませんね。
ビクビクする必要はないです。
でも、いつそうなってもおかしくないと、自戒していくくらいが程よい加減なのかも知れないと考えています。
一方、「食べ物の恨みは深い」とも言われます。
くれぐれも、量の大小に関わらず、食べ物は恨みが残らないように、気を付けたいものですね。