永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

信仰者が共有していること 福音の三要素 使徒の働き2:25-28、31-33

『2:25 ダビデは、この方について次のように言っています。『私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることはありません。
2:26 それゆえ、私の心は喜び、私の舌は喜びにあふれます。私の身も、望みの中に住まいます。
2:27 あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。
2:28 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前で、私を喜びで満たしてくださいます。』使徒の働き2:25-28新改訳2017』

この箇所は、詩篇16:8-11からの引用です。この箇所が記された時から、さかのぼること約1000年、ダビデ王が記したメシア的詩篇です。

ダビデは王でしたが、この箇所は預言者として記す事になったようです。旧約聖書では、メシア(キリスト)として示され、新約聖書ではイエスと記されています。そのような背景もあり、「主イエス・キリスト」と表記する必要があったと推察しています。

ダビデ詩篇では、【主】と共にいる安心感を讃美し、その喜びを表現しています。また、それによって希望を持ちながら生きられると表現しています。

その根拠をやがて起きる事への言及というカタチで記しているのです。

それこそ、「いのちの道」であり、喜びで満たされるという締めくくりをしています。

『2:31 それで、後のことを予見し、キリストの復活について、『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない』と語ったのです。
2:32 このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。使徒の働き2:31-33新改訳2017』

キリストの復活について、『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない』とペテロが語っているように、これは、イエスの死と復活をしてしていたのです。

ペテロが語り、それが記された使徒の働きに生きている聴衆たちの大半は、イエスの十字架と復活を見聞きしたことでしょう。

かつて、ダビデが記したメシア的詩篇のように、『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない』ということが、成就されたのです。

そして、昇天されたことも知っているのです。

その人たちへの語りかけは、実にパワフルなインパクトを与えたことでしょう。

しかし、それを聞いた全員が信仰者になった訳ではありません。

実に残念なことですが、それが、現実です。

しかし、いのちと認知能力が保たれている間は、誰にでも、そのチャンスがあるのです。

それは、実にシンプルです。次の福音の三要素を吟味してください。

「主イエス・キリストは、私が自分でどうすることもできない罪のために十字架で死なれたこと、葬られたこと、三日目に復活された事」を受け入れ、【主】に感謝することだけです。