永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

自然栽培は贅沢な時代

何かと話題にのぼるロシアは自然栽培大国なのだそうです。気になる方は調べてください。

日本では、慣行栽培と言って、農薬や化学肥料などを使用する農業が圧倒的です。

江戸の頃の日本には、そんなもの無かったようです。

江戸時代は、大家さんと農家が、人糞を肥料として取引していたのだそうです。

大家さんの店賃(たなちん…家賃)以外の副収入ですね。

自然のサイクルが、江戸近辺で出来上がっていたのです。

肥だめや肥たごを駆使して、人力全開で、それらが成立していたようです。

江戸に限らず、日本中にそのような流れがあったのです。

私が通っていた高校は、駅西の開発途上の地域にありました。私は、昼学でしたが、夜学もある学校で、教師は、昼と夜を行き来していると聞かされていました。

ある教師が、授業の余談で、昔話を聞かせてくれたことがあります。

それは、その地域一帯が、田畑地帯だった時代の話です。

夜学を終えた夜9時くらいに、暗い畦道を自転車で通ってかえる途上に、畑の肥だめにハマってしまった先生がいたと言うのです。

今の時代は、街路灯がないところを探すのが難しいほど、夜でも明るいです。

しかし、当時では真っ暗だったので、暗い自転車の電灯では見えにくかったのかも知れませんね。

その時代は、自然栽培と呼んでも良いような農業をしていたのでしょうね。

最近の付加価値を生む栽培方法は、有機栽培です。これもまた、禁止事項や制約があり、認証を取るのにもコストや手間暇が莫大にかかります。

また、以前とは違った栽培方法でも、有機栽培の認証が出される傾向もありますので、ラベルだけで安心して買うのは難しいと考えるようになりました。

味噌を製造販売している会社の販売サイトを覗いてみると、有機栽培よりも自然栽培の方が値段が高いことに気が付きました。

これは、何かあるのでしょう。

気になる人は、いろいろ調べてくださいね。

江戸時代には、当たり前だった自然栽培は、今の日本では超高級品になってしまったのかも知れません。

自分の庭先に、プランターをいくつか置いて、自分なりの自然栽培を研究する必要があるのではないでしょうか?

私も、実験しています。