永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

この一生が大事 有島武郎

『僕は一生が大事だと思いますよ。来世があろうが、過去世があろうが、この一生が大事だと思いますよ。有島武郎或る女』(新潮社)』

過去に対する意識が強い人がいます。

一方、来世に希望を持つ人もいます。

人によっては、現世は、苦痛の地獄でしか無いようです。

そこまで、深刻でなくても、「今」には、居心地が良くないようです。

「この一生が大事」というフレーズのくり返しは、際立った表現として感じられます。

「生きているだけで丸儲け」と言ったコメディアンがいました。

つまり、生かされ、生きている間こそが大事だというのが、有島武郎のフレーズですね。

「おもしろくない」とか「つまらない」、「楽しくない」と聞くと、何か、スゴいやるせない気持ちになります。

これは、存在に充足感がないので、何かの刺激によって、充足したいのでしょうね。

大切なのは、「何かの刺激」よりも、「生きているだけで丸儲け」を実感することではないでしょうか?

これには、存在を意味する「being」の理解がまず必要です。

それは、この世に置かれていることが、すばらしいという理解です。

存在に充足感があれば、それに何がプラスされても、揺らぐことはないのです。

確かに、この世は、辛いことも多くあります。

だけど、存在することが、どれだけすばらしい事かを実感できるかどうかの差が分かれ道です。

ただし、人間は行動する生き物ですから、行動するという「doing」が見える形でインパクトが大きいのです。

行動が伴わないと、存在価値自体を、誰よりも、自分自身が認められないのでしょうね。

さらに、所有欲というものもあります。

それは「having」です。何かを持つ事で、自分自身を支えようという考え方にも繋がります。

何かが当たらなければ、とか、自分はついてないのだとか、というマインドに陥ると、気分の停滞にも繋がってしまいます。

ともかく、「自分の存在」と「今ココ」がOKなことにフォーカスして、自分自身の充足感を確立したいですね。

そこからスタートできると、周囲の景色も違って見えるコトでしょう。